18列46番で会いましょう

私に好きなだけキキちゃんの話をさせてくれ

拝啓、「父の息子」へ

宝塚の二番手に求められるもの、それは「トップスターの好敵手」である──いや、いきなり主語デカ構文ですけど、そういうとこあるでしょ? あるある。
トップスターの好敵手(もしくは親友)として君臨し、トップ娘役を奪い、ときには譲る。そんな役こそTHE二番手だと思います。
けれど今回の「アナスタシア」は、そんな気分で見ると「?」てなります。私はなりました。
そして自分自身のそのフィルターを恥じました。
なぜなら今回のキキちゃんは、ディミトリではなくアナスタシアの好敵手だからです。



「アナスタシア」のあらすじは多分皆さんご存知だと思いますが、基本的にはディミトリ(真風さん)とアーニャ=アナスタシア(まどかちゃん)の人生が本筋です。
そこに憎めないマブダチのヴラド(ずんちゃん)やヴラドの元恋人である「いい女」のリリー(そらくん)がスパイスとなって、物語が展開していく。
アカデミー賞作曲賞を受賞しただけのことはあるダイナミックで繊細な楽曲と、真風さんの柔らかい歌声やまどかちゃんの力強い歌声がマッチして、そりゃもう最高でした。セットも豪華だし稲葉くんの演出もめちゃくちゃいい。
「ミュージカル観たな~!」って全身で浴びることのできる作品でした。いま健康診断されたら視力も聴力もバカみたいに上がってそう。これで8,800円は価格破壊だよ。


あとみんなお馴染みロマノフ家がベースになってるのも宙組オタクには嬉しいですね。
ニコライ二世だったりアレクサンドラだったりマリア、(単語のみですが)ユスポフと宙組オタクには常識すぎる面々です。マトリョーシカはロシアの名産です。


さて、そして芹香斗亜演じるグレブ・ヴァガノフくんですよ。
なんで共産主義の軍服ってあんなにかっこいいんですかね??
宝塚が誇る軍服シリーズ(軍服シリーズ?)のなかでもロシアのはピカイチにかっこいいと思います。あのくすんだ色味と厳冬に備えたがっしり感がいいのかな……
神々の土地なんか目の保養でしたもんね(ママ~!あの人また神々の土地の話してる~!)


私はグレブの前知識なく臨んだんですが、「ディミトリとアーニャを執拗に追いかける」というあらすじから「ほ~ん。ショーヴランみたいなもんかな」と思ってました。
けど実際にはグレブ→アーニャの要素はあんまりなく、ディミトリともなかなか絡まない。そこへの恋愛的なクソデカ感情があんまり感じられない。
まぁ実際、宝塚の二番手なんて勘違いストーカーが多かったりするしな……(偏見)ってのんびり構えてたわけですよ。
そして二幕、アナスタシアとして過去を取り戻した彼女とグレブが対峙する場面。そこに至って、私はようやく自分のフィルターを恥じました。
もう本当に、このグレブという造形を作り上げたキキちゃんに申し訳ない……マジで……恋愛でしか二番手を見れずにすまない……



二幕、大劇場の天井を突き破らんばかりに歌い上げられた「The Neva Flows」を聴きながら、私はようやく理解したわけです。
グレブはディミトリの対立軸ではない。
ディミトリがアナスタシアの未来としての対立軸であるように、グレブはアナスタシアの過去としての対立軸なのです。


「私はニコライ二世の娘」だと自覚し、アナスタシアとして「未来」を生きることを選んだアーニャに、「父の息子」であるグレブが銃口を向ける。
けれどアナスタシアは怯まない。自分で自分の行いを選択した者は、その行いを悔やまないし恐れない。
まるであの日、副総監であるグレブに呼び出されて怯えていた同志アーニャとはまったくの別人のように。


グレブの父親は、ロマノフ家の警護隊でありながらも彼らに銃を向けた。そしてその自責に駆られ、命を絶ってしまった。
けれどその行いは正当化され、むしろ誇らしいものとされている。だからこそグレブは、「父の息子」であるために、その「過去」を補強するために、ロマノフ家の生き残りとなってしまったアナスタシアを殺さねばならない。


この「アナスタシア」という物語には、「過去」という物語のない人間が三人います。
ひとりはもちろんアーニャ。
あの惨劇の夜を生き延び、自分が何者であるかという「過去」を探している。そのなかでディミトリと出会い、「過去」を受け入れて「未来」へと目を向ける。
もうひとりはディミトリ。
彼にもいまや家族がなく、その「過去」は知る由もない。けれどサンクトペテルブルクの町を愛し、強くしぶとく生きることで過去を肯定している。
それでも唯一「未来」への夢がうまく見られないなかで、アナスタシアと出会ってようやく未来を見据え始める。
そして、グレブです。
グレブには自分自身の「過去」がない。そして「未来」もない。
「父の息子」であるという自負と呪いで立ち尽くすだけで、その行いには自分自身というものがない。
グレブがとる選択肢はすべて「過去」にしがみついてるがための、過去からの贈り物なわけです。


私は、グレブは父親のことを受け入れていないと思うんですよね。
父親がロマノフ家を殺した。だからこそ自分はその「父の息子」としてここにいる。その行いは正当化されなければならない。父の誇りと、自我のために。
けれど一方で、父親が苦しみ、煩悶したこともしっかり理解していると思います。国としての正しい行いと、人間としての正しい行いのジレンマに苛まれたことも。
あとグレブくん、たぶん党本部であんまり信頼されていないのかもしれない……つらい……
なにしろ父親は自殺しちゃったからね……ロマノフ家を銃殺した命令遂行能力は素晴らしいけれど、その罪の意識まで党は責任を負わないでしょう。新しいロシアに「感情はいらない」わけですから……
むしろ「軟弱」とか「所詮は警護隊か」という蔑みさえあったかもしれない。つらい。
そんななかで、父親の行いがために出世をしているであろうグレブくんの存在がどうかは推して知るべしかな、と。
「もしアナスタシアだったら?」
「引き金を引く。簡単だ。君の父がしたように」
こんな念押しの会話があること自体、おそらく党本部は「グレブには殺せない」という軽蔑があるように思いますよ。なぜなら「父の息子」だから……
なんだかなぁ……「父の息子」という言葉は、きっとグレブにとって呪いなんでしょうね。誇らしいことであると共に、一生拭うことのできない「過去」。
……まぁ、全部妄想なんですけど。妄想じゃなかったこと、ないですけど!ガハハ!


結局、グレブの父親が自殺してしまったのも「自分自身」がないからだと思います。
グレブに銃口を向けられてもアナスタシアが怯まないのは、自分自身を取り戻して、その行いに責任が持てるから。殺すなら殺せ、と言える強さもある。
グレブの父親にはそれがなかった。だからこそ悔やんで苛まれて、恥じてしまったんだなぁ……


そのジレンマのなかでグレブが選んだのは、「過去」を受け入れて「未来」を進むこと。
つまり自我を取り戻すわけです。だからこそ、党本部に対して臆さず「アナスタシア伝説の終結」を報告した。
これは自分が決めて自分が選んだ選択肢だから、彼は怯えていない。
あのときのキキちゃんのちょっとニヒルな、それでいて堂々とした(ちょっと小癪な)演技がめ~ちゃくちゃツボです。これ絶対に反抗期来たよ。「父の息子」って言われても今後「うるせ~!知らね~!」しそう。
そしてだからこそ、グレブの「Family」も取り戻せたんだろうな、と思います。
あとすごく個人的なアレなんですけど、同志アーニャと別れてハケたあとに銃声が聞こえなくてよかったな……と思いました。よくあるじゃん。銃声だけで生死がわかるやつ……ほんとよかった……


まぁ、その……とにかくなにが言いたいかというと全人類「アナスタシア」を見ろ!ということです。
凄楽曲(すごがっきょく)と強歌声(つようたごえ)と激美麗(めちゃびれい)な舞台を拝んでほしい。こればっかりは生で「体験」してほしいですね~!


さて、久しぶりに大劇場で宙組を観劇したせいか、やっぱりオタクはオタクみたいな考察しかできませんでした。
オタクだから仕方ないね。
今後ともオタクをよろしくお願いします。


──そういえば、一幕冒頭でアナスタシアに向かっていった子どもは誰だったんだろうなぁ。
まるで抱えて逃がすような、そんな素振りでしたよね。
もしあれがグレブだったなら……ねぇ。そんなこと、ないと思いますけど。

それは絶望か、希望の光なのか。

お久しぶりです。相変わらずキキちゃんが好きです。2019年もよろしくお願いします。


さて、もうなにを言うために記事を上げたか、わかるひとにはわかると思う。
そう。そうです。ザッツライト。
芹香斗亜が優勝。絶対に優勝。なんの試合かもわからないけど確実に優勝。
それを伝えたかった。
──なぜかって?
だってそりゃあ──「群盗」が空前絶後の傑作だったからだ!!!!!!!!!!
上から下まで宙組子がこれでもかと歌い踊り芝居をし、感情を発散させ、最後はキラキラの笑顔でしめる最高の舞台だった。小柳先生ありがとう。お花代を振り込みたい。
いや、これがまだ初日明けてすぐだっていうんだから驚きである。
これ以上毎日進化していったら千秋楽にはどうなってしまうんだ……毎日観に行ってしまうじゃないか……(※毎日観に行きます)

さて、とりあえず傑作であるということをなるべく早めに鮮度高いうちにお伝えしたいと思う。鉄は熱いうちに打て。
なぜかって?
だってそりゃあ…………空前絶後の傑作である「群盗」はみんなに観てもらいたいからだ!!!!!
なんとかしてチケットをもぎ取って観に行ってほしい。盗むのはよくないけど。あるところにはあるさ(どこ?)


さて、文章を組み立てる余裕はないので、もう考えずに感じてほしい。小柳先生もパンフレットでそう言ってるから。
ドントシンク、フィールエモーショナル。
ほとんどツイッターの再録なので、ツイッターですでに胸焼けしてる人は画面を閉じてタカニュを見ていたほうが有益です。クソ長いよ。ネタバレもすごいぞ。
おや、いいのかい?……あんた、ここは初めてみたいだね。ここはそういうブログだよ。覚えときな。


<アナウンス>
※アナウンス!!!!???と思われた方、お使いの脳みそは正常です。

宙組の芹香斗亜です」……いや泣くじゃん。泣くでしょ。
それにキキちゃんのドイツ語、769416点。
ディ・ロイバー……最高……とくにフリードリッヒ・フォン・シラーの発音がいい。
「ドリッヒ」と「フォン」が!!かわいい!!


<一幕>
まずプロローグからして素晴らしい。
最高に小柳先生だし、どことなくヨシマサみもある。
これは盆があったら絶対にセリ上がりながら回ってたやつだと思う。エルアルコンや天河みがある。
なおかつキャッチーなアニソン。ペンライト振っていい?
そして満を持して登場するポスター衣装のキキちゃんがかっこいいんだな!!!2431579点!!!前髪の計算されつくした動き、シャープな佇まい……ハイ優勝!!!!


ここであがりきったテンションを維持したまま物語に導入してくれるのは、こってぃのヴァールハイトくんである。
明らかに善人。絶対に善人。「善」の要素しかない。恵まれた人格をしているに決まっている。
こってぃが上手いなぁ、と思うのは、こうしたキャラ解釈を難なくこちらに知らせてくれるところ。
不良やクズ、狂気の芝居のほうが賞賛されがちだけれど、わたしはこういう善人のほうが難しい役どころだと思う。
とくに狂言回しとして演出の核を担いつつ、芝居にも加わってキャラも発散させるの、本当に大変なことだと思うんだぁ……こってぃすごいよ……研326189か?


そしてここから、もう「上手ぇ!!?」の波状攻撃であった。
まず、幼少期のちびっこたち。かわいいし上手い。緊張せずに歌って踊って、なおかつまわりにあわせて芝居まで出来るのやばすぎんか?
とくにフランツ(もえこ)の少年役してる真白くんがビビるほど上手いんですよ!!!!
彼は(※彼ではない)まだ104期なんですよね……去年アナザーワールドで初舞台を踏んだばかり……いやもう、宙組の未来、明るすぎる。
屈辱と憎悪と劣等感に苛まれつつも、幼いやんちゃなところが隠しきれない少年フランツをめちゃくちゃ絶妙なバランスで演じていると思う。
剣術の稽古のくだり、上手すぎる。あと殴られるのも上手い。
ところでカッコウの笛、重すぎない?
投げ捨てられたときの\デュクシ!!!/メッチャ笑う。鉄か?鉄なのかな……


そうしていよいよ登場してくるキキちゃんが、いや……いや、まさかの超絶「陽」キャラだった。
かわいい。かわいい!!!!
ポスターの雰囲気はどこに行った?と動揺したのもつかの間、でもかわいいからいいやってなる。甘い菓子パンをあげたい。いっぱいおたべ。
にしても緑色のヒラヒラな貴族キキちゃん、久々に明るい。溌剌としている。ジェラルドみがある。
それに対するもえこフランツの~~~少し暗い卑屈そうな雰囲気、最高!!!!満点!!!
この兄弟、絶対にこじれるぜ……カインとアベルだぜ……
とくに「あなたはいつも光に向かって咲く大輪の花のようだ」と笑うフランツに対して、「僕は太陽になりたいんだ!」ってあっけらかんと言い放つカアル。
この差がね、もうね、すばらしいと思う。
憧れつつも、ちりちりと焦げつくような羨望と憎しみを募らせるにあまりある陰と陽。
だってフランツにとって太陽は見上げるもので、「太陽になる」なんて発想ないもんね……それをさらりと言ってしまえるカアルが憧れで、羨ましくて、そして憎らしい。
そうしてフランツは、煤で黒くしたガラスで太陽を見るように、眩しいものは汚せば見られる、って思うようになってしまうんだなぁ……


それからなによりわんたのヘルマン!!!
もうこれが出色の出来!!!!!
「こいつは絶対にやべぇ」感がすごい。濁った目つきが爆裂に上手い。
なんだろう、ナポレオンのタレーランっぽい。
たぶんこのヘルマンも、昔はフランツみたいにマクシミリアンに対して憧れが勝っていたときがあるはずでしょ……それがいったいどこでこうなったのか。スピンオフが切実に観たい。
※ヘルマンのやばやばのやばポイントは二幕に炸裂するので、後述します。


そしていよいよ登場する群盗ーズ。
まずキャラが最高!!!!!!ヒュ~~~!!!
生真面目すぎて理屈っぽい穂希くんのシュヴァイツァー、明るい力馬鹿なれんやくんのシュフテレ、キザで色っぽいなつくんのロルラー、繊細で優雅な潤滑油のような愛海くんのラツマン。
それから秋奈くんのシュピーゲルベルク。彼はともすれば粗野で乱暴な男なんだけれど、本当にリーベ(まいあちゃん)のことを愛してるんだろうなぁ。
それがよくわかる、一番人間らしい男だった気がする。
みんな歌が上手いし芝居心はあるし滑舌はいいし、声が素晴らしくてもうなにも言うことがなさすぎる。
小芝居を入れこんだり、メインの脚本が動いてる後ろでちょこまかとキャラのアレンジを入れられる余裕がすごい。語彙力が失せるほどに感動する。いやまじで。
それからそう!!!群盗ーズのファミリー感!!!!
この一体感が素晴らしいので、感情移入が容易だった。
彼らが希望の光をたたえて邁進しているところはこっちも楽しいし、逆に追い詰められていくところはしぬほどしんどい。
なにをも恐れない青春の輝きと、それからすべてに追い込まれる焦燥の緩急は、この学年でしか出せないのかもしれない。
このタイミングで、このメンバーでの群盗……小柳先生まじでありがとう……


青春のきらめき、若さの瞬き。歓喜の歌に迎えられる群盗たち。
そんな流れをぐぐっと変えるのは、グリム(さくらちゃん)の血を吐くような「わかってないんだ!」という叫び。
民衆に裏切られ、追い詰められた群盗たちを助けるために命を投げ出した少年の叫びが、場を一気にぴんと緊張させる。
「兄ちゃんたちは、それを変えるために盗みをしてるんだろう?」
一生懸命絞り出されたこの台詞が、群盗の行方を決める。
あなたたちは貧しさと苦しみと屈辱を払拭して、世界を変えるために盗みをしているのだ。そうした完璧な理由づけが完了する。
自分たちのきらきらしい「理想」に、ついにままならない「現実」が託されてしまったわけだ。
はたして「わかってない」のは民衆なのか、群盗だったのか。
きっと群盗もわかってなかった。だって「わかって」いたら、カアルもあんなにあっさり捕まろうとするはずがない。わかっていなかったからこそ、グリムを死なせてしまった。
そして、ついに慟哭するカアルの台詞がたまらないんだな……
「俺に自由を与えよ、しからずんば死を!」
その決断を下すカアルの顔が、これまでとはがらりと変わる。
若草色のきらめきをまとっていた朗らかな顔は、いまはもう目の前にある現実を睨むうっそりとした顔になっていた。
目つきが違う。目の色が違う。すべてを振り払って、いまこそただの「カアル」になったんだと言わんばかりの顔つき。
この豹変ぶりにぞっとして、それからこのあとにカアルを待つ「現実」に胸がちぎれそうになった。
小柳先生は優しいオタクなので、冒頭ですでに注意書きをしてくれている。カアルは処刑される、と。
こうして立ち上がったカアルがどうなるか、こっちは知っているのだ。それがしんどい。
カアルを見上げる群盗たちの燃えるような双眸がどうなるか、それも知っている。だからしんどい。
群盗たちが輝いていた瞬間を楽しんでしまったからこそ、はぁ……もう……めちゃくちゃしんどい……
この時点で、私はまだ狂言回しのこってぃ同様、カアルが迎えるラストが「絶望か希望か」を決めあぐねていた。
はぁ……しんどい……


<二幕>
冒頭に追い詰められる群盗VS追う市民のダンスシーンを入れてくれたの、本当に感謝しかない。ありがとう。サンキュー。グーテンターク。
奈穂子版1789みがあったのはこれのおかげもあると思う。
爆イケでキレッキレでかっこいいんだけど、ちゃんと物語の筋を追っていて、群盗ーズの焦燥や動揺が手に取るように伝わる。頭を抱えたり、這いつくばったり……目線が下向きが多くて、腰の重心が低い振り付けが多いからかなぁ。
私がとくに好きなのは、壇上にいるカアルが砂をすくって、手からすべてこぼれ落ちていくような振り付けのところと、市民と対角線上に対峙して下手のほうで胸筋をガシガシ左右に見せつけるところです。いや、見たらわかると思う……たぶん。


二幕のイチオシソングといえば、やっぱりもえこフランツのタペストリーの歌かな、と思う。
もえこフランツの弱さと傷の根深さ、そしてジレンマがこれでもかというほど詰め込まれていて、フランツもカアルと同じく後戻りできないところに来てしまっていることを感じさせるんだな……
もちろんフランツも純然たる悪として生まれたわけではない。けれど、真っ白い紙に落ちた一滴のインクを一生拭い去ることができないのと同じように、無理やり消そうとすれば紙ごと破れてしまうのと同じように、その劣等感や羨望と上手く付き合っていくしかない。
でもそのとき、そのインクの上からヘルマンが同じ色のインクを垂らしてきたわけだ。染みはじわじわ広がっていって、真っ白い紙を黒くする。
そうして後戻りができないことを悟りつつも、こうでしか生きられない自嘲を含ませた歌がね……最高なんじゃ……


そうそう、歌への導入もいい!!!
カアルのことだけは覚えているマクシミリアンに、フランツは母親のことを尋ねる。剣を抜きながら──覚えていなければ殺すし、きっと覚えていないだろうと思いながら。
でも、マクシミリアンは母親のことを覚えていた。そしてフランツのことも思い出した。
たまらず「ここで朽ちるがいい」と言い放ってからのタペストリー……最高やん……
殺さないんだよ、フランツは。殺せないのかもしれないけれど、少なくともあのとき、フランツは殺さなかった。そこがもうエモいやん……


なのに、アマーリアには「人の心がない」と言われてしまうんだよなぁ。
母親を想い、マクシミリアンのことも哀れみ、そしてカアルを羨んでいることも、アマーリアを愛していることも伝わらない。
そしてフランツもまた、それをあからさまに伝えようとしないのが切ない。
「あなたのフランツは、喉を鳴らして目の前に這いつくばったりしない」「恋に悩む羊飼いのように恋心をかき口説いたりしない」「あなたのフランツは、ただ命令するだけです」
この感情の発露の下手さ、愛おしいほどに好き。
命令する、という言葉から伝わるのは傲慢さでも強引さでもなく、ただしんとした悲しみだけなんだ……


群盗すべてを通して絶妙だな、と思うのは、誰も「愛している」と相手に向かってきちんと言葉にしないところ。
カアルもフランツも、アマーリアも、シュピーゲルベルクもリーベも。そしてマクシミリアンもきっと、妻に愛をうまく伝えられなかった。
言葉は機能そのもので、愛しているとか好きだとか言うだけで、彼らの関係性は固定される。
けれど、彼らの誰もが白々しく記号化された言葉は口にしない。
それでも胸に迫るものがある。しぐさで、視線で、メロディで、セリフの行間で、愛を伝えてくる。
それこそがまさに、機能を捨てて、肌で舞台を感じるために必要なものなのかもしれないなぁ、と思った。


アマーリアの「私は女です、……でも卑怯者じゃない!」ってセリフもとても好き。
「我が娘ながら気が強い」じゃないけれど、アマーリアの真髄を見たような気がする。だからこそあのラストにたどり着くし、だからこそカアルを信じて生きてこられたんだなと納得できる。
でもなにより一番すごいのは、アマーリアを演じるじゅりちゃんだと思うんだ……
だってアマーリア、超難しい役でしょ!!??
それこそ愛してるも好きも言わず、カアルと会話するところは一幕冒頭だけなんだもん!!!!
それでもカアルのことを心底愛していて、信じていて、そして芯が強い女性だということをすべてで現してくれる。だからラストの説得力が半端じゃない。


そうしてここから怒涛の展開なわけだけど、萌えメーターも怒涛の展開を迎える。なんかもう、振り切れて飛び散りそうなくらい萌えるんだ。
なにがってそりゃああなた、キキちゃんの!!!デュエダンですよ!!!!
まずナニーロくんのコジンスキーからふるさとの窮状を聞きつけ、急いで帰還したカアルの……カアルの佇まいたるや……
私が貴族のふわふわハット斜め被りに弱いと知っていての所業か!!!?殺す気か……ヒィ……
真っ黒なふわふわハット(なに?)を斜めに被り、仕立てのいい紫の貴族服をまとったキキちゃん……コンマ単位で舞台写真がほしいよ……
そうしてアマーリアと再会して、この……こう、この、あの、最後よ!!!最後!!!
アマーリアが「おかえりなさい、カアル」って言ってからの~~~……ハットを投げ捨てる!!!!そしてかき抱く!!!!!からのデュエダン!!!!!!
もう波状攻撃がすぎる。殺す気か。喜んで死ぬけど。そして蘇るけど。
昏い色のお衣装とアマーリアの喪服が最高だった。決して華やかな場ではないのに、ふたりの愛がいま結実したと言わんばかりの最高潮っぷり。
両腕にすっぽりおさまるじゅりちゃんをバックハグするキキちゃん、じゅりちゃんをかき抱いてその胸に頬をよせるキキちゃん、泣くのをこらえながら微笑むじゅりちゃん……絵画か……まるで絵画のようではないか……
再放送になるけど「おかえりなさい」ってのもいいよね。愛してる、でもなく「おかえりなさい」なんだよな……えっ……エモ!!!!??!!?(クソデカ声)


そして物語は佳境を迎える。
結婚式に忍び込み、帰還を高らかに告げるカアル。ズーゼルもモーゼル牧師も帰還を喜んだつかの間──そう、ヘルマンである。
もう本当に、このヘルマンがたまらないんだよ……そしてそれを上級生の凛きらと対峙してやり遂げたわんたがすごいんだよ……
正気を失ったマクシミリアンをゆさぶり、すべてを思い出させてから、ヘルマンは彼を殺そうとする。その理由はもう見ている側には明らかなんだけれど、マクシミリアンにはわからない。
「なぜそこまで私を憎む!?」
いや、まぁ、この……理由がわからないところがね……すれ違いの極みって感じだよね……
そしてヘルマンが告げるのだ。
「私が、あなたではないからだ」
いやさ……もう……正直に言う。私はキキちゃんもカアルも好きだし、群盗もめちゃくちゃ好きだけど、このセリフがなによりぐっときた。
きっと、もっといろんな理由があるんだよ。父親がマクシミリアンばかり構ったとか、ふとしたことで褒められるのはいつもマクシミリアンだったとか、言われのないことをヘルマンのせいにされて乳母に叱られたとか。きっとたくさんある。
それでも結局、憎しみというのは憧れの裏返しなんだよ。
いつか兄上のようになりたい。でもどうあがいても、兄上にはなれない。だから恨む。
いやもう……そんな絶妙なエモをここまで凝縮したセリフ、ないでしょ……
「なぜ私はあなたより早く生まれなかった」「なぜ私の足は曲がっている」からの「なぜ……私は生まれたのだ……」がもう……さぁ……(クソデカため息)
自分の曲がった足と同じほうの足を刺すのもエモいけど、こんなに胸に迫る「なぜ」の畳み掛け方ある……?ないでしょ……


畳み掛けといえば、もうここから滂沱の涙でしかない。
とどめを刺そうと振り上げたヘルマンの刃に、フランツが割って入る。ここでマクシミリアンを見ながら背中で斬られるフランツがもう……「父上」って呟く声の清々しさといったら……
そうしてフランツを斬り殺すヘルマンを目の当たりにしたカアルが、ヘルマンを刺す。しかもアマーリアの目の前で。
もう……地獄じゃん……胸が詰まりすぎて、鳩尾が痛すぎて涙が止まらないんだよ……
マクシミリアンは救われたかのように微笑むし、フランツは最期の最後にカアルの伸ばした手を「もう一度生まれ変わってからにするとしましょう」って悪戯に拒むし……もう……
この皮肉なほどのすれ違いのおかげで、キキちゃんがようやく振り絞る「なぜ……!」が最高に効いてくるんだ……


駆けつけた群盗たちが、カアルに逃げようと告げるところでさぁ、またさぁ!!
これまで一切誓いを口にしなかったシュピーゲルベルクが「誓いを忘れたか!」って叫ぶのがいいんだよ……!!!!お前そういうとこやぞ!!!
そしてついに、アマーリアが決断する。──「殺して」と。
この言い方があまりに清々しくて、儚く美しくて、そして力強くて……しかも満足げなのがまた……
じゅりちゃんが丹念に積み上げてきたアマーリア像が、きちんとここで完結する。
それに、カアルがアマーリアを刺すときの、群盗たちの顔がもうだめだった。
シュヴァイツァーはそれを呆然と眺め、ラツマンは動揺して取り乱す。シュフテレは最初から顔を伏せ、ロルラーは見守ったあとに天を仰ぐ。そしてシュピーゲルベルクは、しっかりと見届けるように睨みつける。
その各々の顔が、視線が、もうたまらなかった……あのときはみんな、演じているんじゃなくって、もうそこに群盗たちが「いた」ような気がした。


そしていよいよカアルが、最後の決断をする。
傷つけられた秩序を回復するための、たった一人の犠牲になるために立ち上がる。
もうオタクだから許してほしいんだけれど、私は生来、去るものが残る者になにかを託す図にしこたま弱いのだ。オタクはみんなそうだと思う(主語デカ主張)
カアルが一人ひとりの顔を見ながら、「託して」いく。
この演出が苦しくて、尊くて、涙が止まらなかった。悲しいからとか、辛いからとかじゃなく、ただ感じるままに咽び泣いてた……
とくにカアルがかける言葉が、どれもこれもいい。
ラツマンには、医学ではなく詩を書けという。そしてシュフテレにそれを、感動的に詠んでほしいと頼む。ラツマンは泣き、シュフテレはやめてくれよ、と言わんばかりに肩を落とす。
それからロルラーには肖像画を描いてくれ、と茶化す。それは英雄ではなく「愚かな盗賊の姿」で、と注文までつけて。ロルラーは悔しそうに首を振る。
法を守れ、と言われたシュヴァイツァーは、涙を流しながらもしっかりと頷く。
コジンスキーには、城を頼む、と伝えた。きっと彼のアマーリアと再会して、領民誰もが幸せに暮らせる世の中を作ろうと懸命に頑張ってくれると思う。
そしてなにより、シュピーゲルベルクにかけた言葉が信じられないくらい刺さった。
「リーベを許してやってくれ」。
これはもう、アマーリアに許されたカアルにしか口にすることのできない言葉だったと思う。
そう言われて、静かに涙を流すシュピーゲルベルクの返事もたまらなかった。
だって「隊長さん」って……カアルのこと、「隊長さん」って……
これまでも「さすがだな、隊長さんよ」なんてふざけて言ってたけれど、最後の最後に滲み出た信頼の念がもう……最高だった……
お前……ほんまそういうとこやぞ……


なにより一番ぐっときたのは、カアルのこのセリフ。
「もう群盗じゃない、明日からは一人ひとりが自分の道を歩むんだ」。
群盗って、いってしまえばキャッチーなタイトルではないと個人的に思う。宝塚ならもっと、ほら……「ディ・ロイバー」とかいろいろあったはず。
でも、あえて「群盗」にした。
漢字から意味を想像できる群れを残し、わざわざ一幕で「盗賊の群れかぁ」なんて言った。
それがまさか、こんな最後の最後で生きるなんて誰が思った……??
もう群盗じゃない。群れじゃなくて、一人ひとりとして生きる。
それをこの新公学年ばかりの舞台で言い放つことの感激や衝撃は、なかなかないと思う。
本当に小柳先生ありがとう。いや……そりゃまぁ……たぶん深読みだと思うけど……それでもさぁ、ありがとう!!!!


そしてみんなを逃がしたカアルの、最後の言葉と表情がもう目に焼き付いて離れない。
きっとヴァールハイトはカアルの言うとおり、貧しい男に賞金を渡してくれる。それを信じて、カアルはヴァールハイトにも「託した」わけだから。
光に向かって歩いていくそのカアルの、キキちゃんの背中といったら……
叫ぶでもなく、喚くでもなく、ただ背中で語る。
若いパワーが炸裂する群盗の舞台をきゅっと引き締めたのは、研12の芹香斗亜だったのかもしれない。


もうこの時点で相当涙腺がガバガバだったのに、追い討ちをかけるように訪れたのが、そう……ラストの白シャツナンバーである。
いやもう……あの……涙が渇く暇がなさすぎるでしょ……目尻から頬にかけての顔面施工がドロドロですよ……
プロローグと同じ構図はオタクが好きなやつだからやめてって言ったでしょ!!ごめんなさい嘘です!!もっとやって!!!
振り付けも歌詞も、なにもかもがもうエモい。しんどい。嗚咽が止まらなかった。
キキちゃんが群盗たちのもとへ近寄り、笑顔でやさしく語りかけるように歌う。
手を伸ばせば、って歌詞ならまいあちゃんの腕をとって伸ばしてあげて、笑顔になる、って歌詞のところで愛海くんの頬をつついて笑顔にさせる。
こんなん卑怯でしょ!!!!??くそッ小柳先生め!!!!お花代を振り込ませろ!!!
またそのあとの歌詞もメガほどエモい。
私はオタクなので、組替えとかそういうのが感じ取れる歌詞にめっぽう弱い。そのメンタルにクリティカルヒットです。
なんですか「星のように」って……「住み慣れたところを離れて」って……「見上げた宙に新たな出会い、新しい歌」って……Oh……
それを全部キキちゃんがあのきらきらしい笑顔で溌剌と歌い上げるからいけない。ドラマシティじゅうを包みこむような、柔らかい歌声がいけないんだ。


そうして最後に祝福の光を浴びながら、ぱっと顔をあげたその表情といったら……
初日から5公演観ましたけど、ぜんぶ違うようにさえ見える。希望、未来、達成感、爽やかさ……毎回毎回、その「表情」が違う物語を魅せてくれているような気がした。
あの満ち足りた顔をオペラで覗けば、もう視界はぐちゃぐちゃですよ。感情と生理現象が追いつかなさすぎて、息さえしづらくなる。
大好きとありがとうがいろんな言葉でこみあげてきて、もう泣きながら拍手をすることしか出来なかったんだなぁ……


──さて、タイトルに戻ろう。
はたして群盗は絶望か、それとも希望の光だったのか。
これはもう、胸をはって大声で叫びあげるしかないでしょう。
希望です。これは、希望です。
キキちゃんの、カアルの、宙組の希望だ!!!!!!希望の光なんだ!!!!!
頼むからみんな、盗む以外のなにをしてでも群盗を観てくれ!!!!!お願いだ!!!!!
私は呆けてもこの公演のことを話し続けるからな。「私はあの日、群盗って舞台を観てねぇ……それはもう素晴らしくってねぇ……」って言い続けるからな。
くそッ、覚えてろよ!!!!!!(訳:おかゆちゃんメッチャ良かったよ!!!!!)

約束された勝利の仮面

為政者は時として、その国そのものに喩えられる。
新聞の風刺画はいつだって支配者の顔を揶揄しているし、厄介なことではあるけれど、仮想敵として支配者の写真や胸像を毀すことだって多々ある。いつの時代もそれは変わらない。
さて、ところ変わって1478年、花の都フィレンツェ
この栄えある街の支配者はメディチ家──ロレンツォ・デ・メディチである。
若干20歳でメディチ家のすべてを受け継ぎ、そして操り、支配する男。
彼はまさしくフィレンツェそのものであった。フィレンツェを愛し、フィレンツェに愛された男。
生まれたときからすべてを約束され、そしてその約束を成し遂げるためには己さえ駒にする、類まれな才能と野心と幸運に恵まれた男。
人々は彼を愛し、彼を憎み、彼に憧れ、彼にとらわれる。
その理由もわからないではない。出自に裏打ちされた高貴な佇まい、なにも口にせずとも空間を支配する威光、一挙手一投足からにじみ出る自信。金も地位も名誉も、なにもかもが彼の足元に跪く。
そしてなにより──見た目がいいのだ。
はちゃめちゃに見た目がいい。底抜けに麗しい。
これが醜男なら、バチカンも放っておいただろう。けれど美しい。金も地位も名誉もある男が美しいなんて、そりゃあ宗教の危機だと思っても仕方がない。
そのうえさらに歌が上手い。
2,550人を前にして歌い上げるほどの声。あの瞬間、世界中の誰よりも一番強いスポットライトを浴びているのは彼なのだ。
バチカン聖歌隊をゆうに凌ぐ歌声なのだから、そりゃもうローマ教皇の心配はつきない。正直いってめちゃくちゃ分が悪い。


……途中から違うひとの話になっていやしないかって?いやいや、ひとの話は最後まで聞くものだ。
そう、ロレンツォ・デ・メディチ。彼はまさしく華々しいフィレンツェそのものであった。
そしてまたの名を、芹香斗亜という。


(盆が回って開幕)


ポスターの時点で、わたしの理性は警鐘を鳴らしていた。おい、これはやべぇやつだぞ。
完璧なEラインを強調するかのようにゆるくウェーブを描く長髪、何者をも傅かせるような怜悧な視線、そして真っ赤なお衣装。
もはや爆弾がダイナマイトを巻いて、そのうえショットガンを抱えながら突進してくるようなものだった。防ぎようがない。
防げないのなら、防がなければいいじゃない──いつかどこかで聞いたような、宝塚と帝劇が御用達のどこかの国の王妃さまみたいな天の声に突き動かされるまま、結局わたしは防御力ゼロでマイ初日に挑むこととなる。
そのあとすぐ、己の愚かさとバチカン市国が抱いた脅威を目の当たりにすることになるとは知らず──


しっかし異人たちのルネサンス、冒頭なかなかロレンツォ・デ・メディチ様が出てこない。焦らされている。とても焦らされている。
ソラカズキに「相手はあのロレンツォ様だぞ!?」とかうろたえられたり、真風さんに「帰ってロレンツォに伝えろ!」とか嫌悪感丸出しで呼び捨てされてる。
えっ……なんかちょっと予想と違って完全に嫌な奴なんじゃないの……???
地位も名誉もあって芹香斗亜の見た目をしている人間が嫌な奴に描かれているなんて……悪すぎる芹香斗亜にわたしは耐えられるのだろうか……??
この時点でわたしの心拍数は(違う意味で)爆上がりしていた。
じゅりちゃんのサライ──これがまた上手い~!!あの時代のフィレンツェを生きていそうな感じがとてもある──のかわいさや、短時間の間に二回もぶたれるレオナルド(うち一回は幼少期だけれど)に「ひぇっ……」と思いつつ、まんじりとすること早10分強。


唐突に肌がびりびりした。
暗転待ちの舞台から放たれる謎の気迫。これは来るな……と思ってオペラをにぎりしめた瞬間、「それ」はついに来た。


ロレンツォ・デ・メディチ&ジュリアーノ・デ・メディチご兄弟~~~!!!!(ガランガラン)
二名様ご案内です!!!!!!!はやくお通しして!!!!!
赤い!!!!かっこいい!!!!そして……赤い!!!!
しかもふたりとも長髪だしお衣装がお高そうでいらっしゃる……そしてとてもとても偉そう……マントの裏地の柄と生地の重たさが最高じゃん……


もう枢機卿になれないじゃん!!って怒るジュリアーノを片手でいなして、「メディチの男に坊主はつとまらん」ってあしらうロレンツォ様。
ちょっと……やだ……そのセリフの言い方の!!!!なんとお耽美なこと!!!!
メディチの男に坊主はつとまら↑ん」のこの「ら」でちょっと抜けるように声が高くなるところとか、そのあとの「女を抱く悦びを捨てるなど……」って「など……」の余韻が最高にセクシー。女を抱く悦びを知っている男の声だと思う(?)
教皇の機嫌など気にするな」
……いや気にするでしょ!!!!!
この時代のキリスト教圏の人々にとっては教会こそすべてであり、教皇こそトップオブトップなのだ。それをあっけらかんと「気にするな」って足蹴にできるのはロレンツォ様だけですよ。
ほら~~~ちょっとロレンツォ様~~~ずんちゃんキレちゃったじゃ~~~ん!!!謝んなよ~~~!!!


だが謝らない。なぜならロレンツォ・デ・メディチだから。
人並外れた才能と野心、そして幸運に恵まれた男は決して謝らないし振り返らないのだ。
ジュリアーノとの喧嘩(とも呼べない児戯のやりとり)からダ・ヴィンチの来訪まで、とくに場転らしい場転も、歌らしい歌もないのに、セリフと佇まいの端々から「ロレンツォ・デ・メディチであること」の凄みがビシビシと伝わってくるこの感じ……とてもすごいと思う……
ノーブルだけれど柔和すぎない。傲慢だけれど不遜すぎない。
この絶妙なバランス、キキちゃんが演じるからこそ醸し出されているのでは……と贔屓目ナシでも思う。思いません?わたしはメッチャ思った。
なんていうんだろう……下品すぎない強引さというか、成金めいていない高貴な傲慢さというか……
たとえば「神に仕える女も、強情な芸術家もすべて手に入れる(意訳)」って宣うセリフ、明らかにめちゃくちゃヒール役が言う言葉じゃないですか。すごい嫌味ったらしく言おうとすればどこまででも悪そうに言えるはず。
カテリーナに小鳥の隠喩で迫るところだって、いやらしい言い方がもっとできる。じっとりうっそりした、いやな色気を出した言い方が。
でもキキちゃんのロレンツォ様は「お遊び」の域を出ない、からりとした言い方をするのだ。
その陰湿さの微塵もない佇まい、完全に生まれながらの強者が醸し出す余裕と傲慢さがとても……とてもキキちゃんにしっくりくる……
金と地位にモノを言わせて欲しいがままにしてきたんじゃなくて、抗えない魅力をもってしてすべてのものを傅かせたんだろうなぁ。さも当然、みたいな。
いやそりゃ当然だよ。だって芹香斗亜だから……いま現在抗えない魅力をもってしてエジプトから筑波からフィレンツェまでを傅かせているよ……(?)


しかもレオナルドを焚きつけて、「ようやく野心に火がついたか」とか言ってにやっと笑うとこ!!!
ここが!!!最高に!!!いい!!!
レオナルドに才能を見出したロレンツォは、彼に幸運を与えて、仕上げとばかりに野心に火をつける。これこそTHEパトロンって感じがする。
道楽で金を出すだけではない、なにか別の楽しみを見出している=神がサイコロを振って気まぐれに遊んでいる、みたいなロレンツォ様、とってもすき。


そんなロレンツォ様のご機嫌をよそに、ずんジュリアーノはギラギラ煮えたぎっている。
この弟の愛憎がまたエモいんだなぁ~~~!!
ずんちゃんも気品と柔らかさで出来ているひとだと思っているので、それゆえに野心がいま一歩足りない感がすごく出てる。
しかしレオナルドに「才能がない」とか言われたり、みんなの前で童貞バラされたり、それはそれで結構散々なんだよな……かわいそうに……幸運にも恵まれず……
史実だとジュリアーノはロレンツォを崇拝し、尊敬したまま死ぬので、このルネサンスでのジュリアーノ像は新鮮でよかった!!
偉大な兄上を誇らしげに思い、ああなりたいと望んできたけれど、大人になったいまはちょっとだけ違う。「ロレンツォの弟」ではなく「ジュリアーノ」として生きたい。そんな野心がふつふつと芽生えていく。
兄を愛しているし偉大だと思っているけれど、決して兄にはなれない自分の立場や不甲斐なさに歯噛みしている雰囲気がとてもよかった。
でもジュリアーノのかわいそうなところは、「ジュリアーノ」として生きても「メディチ」からは逃れられない、ということに気づいていないところ。もしも「メディチ家のジュリアーノ」として生きる自我に芽生えていたら(史実はこれ)、きっとパッツィにも利用されずに済んだだろうに……
いやほんと、反抗期のタイミングがめちゃくちゃに悪かったのだ。野心はあれど、才能と幸運に恵まれないタイプ。


そんな物分りの悪い弟にうんざ……ヤキモキする兄上、これがまたかわいい。
スフォルツァ公のお嬢さんに見向きもしないジュリアーノを横目にとらえながら、スフォルツァ公のご機嫌をとる兄上の小芝居が!!かわいい!!
なんかこう……「いやいや照れてるだけですよ、すみませんねウチの弟が……」とか「お嬢様があまりにかわいらしくてきっと恥ずかしいのでしょう」「ウチの弟は奥手ですから」「ああそうだ、ウチの妻を紹介しましょう」とか細々と言ってるんだろうなぁと思うとすごくツボる。ロレンツォ様がちゃんと政治してる!!!
マスケラータの夜の小芝居は、その表情もよくわかるからよりツボい。
「(今夜こそはちゃんとお相手をしろよ、……なに?おい、振り払うな、ちゃんと娘を見ろ!……よし、よしよし、いい具合に……ほらスフォルツァ公、どうです、似合いのふたりでしょう……カテリーナ?おい、ジュリアーノ!)」みたいな(※脳内副音声)
眉を顰めたかと思ったら満足そうに頷いたり、とてもかわいい。凡庸な人間であるところのスフォルツァ公のご機嫌もちゃんと気にしてるところがとてもよい。それでこそメディチ家の当主である。


さて、さてさてそして、ついにロレンツォ・デ・メディチ様の例の場面がやってくる。
これまでのロレンツォは手にしたものに対する執着があまりなさそうだったけれど、この日は違った。カテリーナが恋を知った小娘みたいな顔をして門限を破るから、さすがのロレンツォもなにかに気づく。
カテリーナ=愛人=自らの権力に挑む何者かがいることに。この時点ではまだカテリーナを己のコレクションの一部としかとらえてなさそうなのがまた……
ここのロレンツォの表情と声の調子、もうとてもとても狂おしいほどすき。
カテリーナが「部屋に戻っても構わない?」っておずおず尋ねたら、「どうぞ」と言わんばかりにすっごいやさしく微笑んで安堵させてやるのに、次の瞬間にがらりと雰囲気を変えてくるのはまじでズルい。怖い。人心を手玉にとることに慣れている。
ここでキキちゃんとまどかちゃんの身長差が最高に活かされて、はちゃめちゃにエモい姿勢になるのがまた!!!よい!!!
下手から観たときのマントと長髪の垂れ下がり具合、それから挑むみたいにくっと顎をあげたEラインの美しさ。いやがるまどかちゃんの身体の反り具合もあいまって、めっちゃ麗しい。
まるで美しい絵画のようではないか!!!!マジマジのマジにはやくここの舞台写真をくれ。


そして畳みかけるように、これぞロレンツォ・デ・メディチと言わんばかりのクライマックスがいよいよお披露目される。
刮目せよ、その銀橋ド真ん中で2,550人を見下す芹香斗亜を!!!!!
ヒールにありがちな虚栄と虚勢にまみれたまがい物の傲慢さじゃなくて、天性の自信と肯定力と覚悟と帝王学を身につけている最強の男。それをありありと表す最高の支配者ソング。
それが「メディチの仮面」である。いやまぁ……「ラムセスの歌」に次ぐそのまんまな歌だけれど、中身が最高なのでタイトルは不問にする。
なにが最高ってもう……あの……プログラムの歌詞のところにいちいちふせんつけて説明したいくらいなんだけど、とにかく歌詞と曲調、そして芹香・キキ=斗亜様の表情が底抜けにエモい。ぜんぶいい。エモエモのエモ。
死因:ダンディズムにつづいて死因:見下しが誕生してしまう。あっ……見下死……なんでもないです……


少年の日にいたずらにかぶる仮面は
(幼少ロレンツォを想像して勝手に感極まる)
(父上の隣で誇らしげにしている幼少ロレンツォ様とてもかわいい)
わたしに呪いをかけた
(世間一般的に想像される呪いとはえらく裏腹な不遜な笑みじゃないですか??)
人生の勝者になれと
(ここで超スゴツヨライトを浴びるのがまた……強い)
(自家発光もあいまって煌めきがすごい)
(のびのびとした歌い上げが最of高)
(な~~~れと~~~ォ~~~!!!!!!!)
(目覚まし音にしたい)

愛と欲望、跪かせる メディチの仮面
(ここの!!!!!!!見下す!!!!視線と指先!!!!!)
(ほんと2階席で観てても地下349189階からロレンツォ様を見上げているような気分になる。カンダタかよ)

愛と憎しみ、抱いて眠る メディチの仮面
(憎しみも憧れも苛立ちも羨望もぜんぶ抱いて毎日を当たり前に過ごすロレンツォ様、まじで覇者の風格)
わたしを支配する わたし
(ここがエモみのハイライト)
メディチの呪いにかけられて心を生贄にして生きてもなお、そのなかに自我を見出して楽しむロレンツォ様がただただヤバい)
(以下略)


──ロレンツォ・デ・メディチ様a.k.a芹香斗亜のなにが凄まじいって、こんな歌を終始不敵な笑みを浮かべたまま歌い上げるところですよ!!!!!
カテリーナ=愛人が奪われようとしているときに二番手が歌う歌って、普通は「コンプレックス」「怒り」「幼少期のあれこれから拗れた黒歴史」「おれは這い上がるぜ」「チクショーッ」「母性を求める」「おれは凄いんだぞ」的要素がふんだんに散りばめられている気がする。偏見かもしれないけど、たぶん統計的に見たらこういうの多いと思う。
だからこの歌をもっと宝塚的にチェンジしたら、「幼いころからメディチ家としての教育ばかり受けてきた」「己を出すことを禁じられた」「心なんてない」「その代わりにすべてを手に入れた」「彼女こそはじめて見つけたわたしの心だ」「絶対にカテリーナを手放したくない」みたいな雰囲気になる。
じっとりとした嫉妬とレオナルドからの挑戦を受けて立つ、みたいな。破滅の雰囲気を孕ませながら、たぶん下手の壁をバンッて叩いて不敵に笑ったままセリ下がるとか、そういう……

でも、この歌は違う。
そんなありきたりな為政者の辛さなんてすべて踏み越えた、支配者としてはるか高みに佇む「狂気」を高らかに歌っている。
メディチ家として生まれたからには、己さえも駒にする。ロレンツォ・デ・メディチフィレンツェは同一であり、フィレンツェはロレンツォ・デ・メディチである──それをビシビシと伝える、すごい歌詞だと思う……
めっちゃかっこいいけど怖いし、でも惹かれるし、これぞ圧倒的覇者の風格。
史実を知っているから余計に、っていうのもあるかもしれないけれど、ジュリアーノもグイドもパッツィも確実に分が悪いよ……相手が強すぎる……
神の名を借りなければ目的を達成できない人間は、完全無欠に自分本位のロレンツォには勝てないよ……

でもこの最高ソング、ちょっとだけかわいいポイントがある。個人的にだけど。
「お前のあたたかい血が~」っておどろおどろしい歌詞を歌っているロレンツォ様の!!!!お袖~~~!!!
「わたしを支配するわたし」って笑うロレンツォ様の!!!お袖~~~!!!
ふわふわひらひらしたお袖がキキちゃんの頬をすべったりくすぐるたび、かわいい……ってきゅんとしてしまう。あのお袖が、お耽美なロレンツォ様のかわいいポイントを担っているんですね(ですねって言われても……)


そして物語は佳境に迫り、サンタ・クローツェ教会へと導かれた演者たち。
個人的に、ここのロレンツォ・デ・メディチは人間味あふれていて好きです。
レオナルドに剣を向けられた瞬間の「あァもう絶対に許さん」みたいな目を剥いた表情がとてもエモい……逆三白眼(?)……
パッツィはもちろんのことグイドのことだって別に信頼していたわけじゃない。敵に囲まれたなかで、ジュリアーノの死に錯乱するほど理性を失ったわけでもない。
けれど、自分がサイコロを振って遊んでいたはずのレオナルドに剣を向けられたとき。
そのときにこぼれたあの「裏切り者め……」って唸り声が、ロレンツォの人間らしさを表している気がして……
ロレンツォってきっと、レオナルドのことを愛してさえいたと思う。稀代の天賦の才能。──ある意味では、自分と同じくらいのクラスに置いていたかもしれない。
けれど、そんなレオナルドが、グイドやパッツィみたいな凡庸で陳腐な人間が宣う「神」とやらの戯言に手を貸していた(ように勘違いした)。
その事実がロレンツォをすさまじく失望させたんだろうなぁ。考えすぎだろうか。でもそう思ったんだもの、仕方ない。
グイドやパッツィ、ジュリアーノに向ける憎しみよりレオナルドへと剣先が尖って見えるのは、そういう理由もありそうだなぁと思う。もちろんカテリーナという要素もあるけれど。


ところで、そんな流れをぶった切るようなロレンツォ様のかわいいポイントその2がここで見られます。
パッツィと刺し違えてから、グイドを殺して二度目に倒れ伏すところ。この!!ここで!!!マントにくるまってちょこんと伏せるロレンツォ様が!!!!!非常にかわいい!!!!!
バタッと倒れるでも大の字に天を仰ぐでもなく、マントに隠れるようにして丸くなるロレンツォ様……めっちゃかわいいでしょ……??お昼寝みたいじゃん……
えっ……かわいくないですか??わたしはとてもかわいいと思いました!!!!!


さて、ロレンツォ・デ・メディチは人並み外れた才能と野心、それから幸運に恵まれているので、刺傷を三つくらい負っても全然に生きているのであった。
しかも以前と変わらず飄々と、女性を侍らせつつ……とはいえ失礼ながら、彼女はカテリーナの代替ではないんだなぁ。芸術品ではない。なので、正妻せーこさんも余裕。
そうしていつもの日々に戻った──かのように思いきや、レオナルドが置き土産にラ・ジョコンダを持参した瞬間から、ロレンツォの「なにか」が変わる。
ロレンツォには見せたことのないカテリーナの笑み──口角ではなく、頬がふわりとゆるんだ自然な笑み。
それは本当の愛を知ったからだ、とレオナルドは言う。
ここでゆっくりと絵画に近寄るロレンツォの背中が!!!!背中がとてつもなくクる!!!!
悠然と広がるマントとは裏腹に寂しそうな、はじめて喪失感を得たようなそれ。
このとき、きっとロレンツォははじめて「カテリーナを愛していた」ことに気づくんだなぁ……芸術品としてではなく、ひとりの女性として愛していたんだよなぁ……
ここでの表情が(たぶん)上手のSS席でしか見られないのがま~~~たオタクの想像力をかきたてる……そのとき、キキちゃんの麗しいEラインはなにを思っているんですか……
寂しそうな笑みなのか、それとも頬がゆるんだ「本当の笑み」なのか、苦渋の表情なのか。オタクなのでとても考察がはかどる。
キキちゃんのことだから、たぶんまたなんともいえない感情を孕んだ美しい顔をしているんだろうなぁ。わたしはキキちゃんの余韻のある表情に全幅の信頼をよせているので……


この時点で、田渕くんにはいろいろと言いたいことはあった。
サライとかグイドとか、工房のみんなたちとか(りくちゃんのキャラはとてもかわいくてすき!!!)……でも、「メディチの仮面」とこの最後の演出で「まぁチャラかな……」と思い始めていた。
キキちゃんかっこいいし、歌はいいし、豪奢だし。とりあえず贔屓がかっこよかったらチャラになることないですか??私はよくあるんですけど……



しかしこの直後、すべてのマイナスをプラスにブチ上げる事件が起きるのであった──
濡髪、断罪、うっそりとした笑み。
次回「サント」。お楽しみに!!!!!
フィナーレは別腹だ!!!!!!