18列46番で会いましょう

私に好きなだけキキちゃんの話をさせてくれ

お金はいっときの支出、贔屓は一生の思い出

いや、文明というのはいいものですね。
思い立ったときにすぐ連絡がとれるし、飛行機の予約もできるし……文明の進化によって、人間の機動力は格段に上がったといっても過言ではない。
かくいう私も文明の発展を享受して、行って参りました。
え、どこにって?いやいや、野暮なことは聞かないでくださいよ。東京の巴里に決まってるじゃないですか。

……というわけで、結局行ってしまいました。ええそう、パレスホテルですとも。
もう「思い立ったが吉日」という言葉はオタクのためにあるとしか思えない。堆く残ったいろとりどりの〆切と社会的な信用、それから底を尽き果てた口座を対価に東京へと参りました。
まぁたしかに、こう対価を並べ立てるとなかなかな代償を払ってるように思えるだろうけれど、なんてことはない。
キキちゃんのあのきらめきを浴びられるのなら、こんなに安い対価はない。そう、激安である。むしろタダでは??
それではさっそく巴里祭後半戦、お付き合いください。


<前回までのあらすじ>
もう何年も前の話だ。
ある夕晴れの日、私はシャンゼリゼ通りに佇むトレンチコートの男性を見かけた。もちろんそれはパリではよく見る格好だったけれど、私はどうしてか、その男が気になって仕方なかった。
彼はマロニエの木によりかかって、なにかをしきりに書きつけている。ひょいと覗いた手元には、古びたくしゃくしゃの紙があった。もう隙間なんてないくらいに文字で埋めつくされているというのに、彼はそれにも構わず言葉を刻んでいる。構わず――というより、気づいていないのかもしれないが。
ふと、枯れた秋の気配を孕む風が、ふわりとアブサンのかおりを運んできた。
それはきっと男のものに違いなかった。彼はおそらく詩人で、ランボーヴェルレーヌに憧れ、そしてお決まりのようにアブサンを崇めているのだ。
私はその、詩人たる者たちの「退廃」に対する憧れについて、かねてより甚だ疑問に思っていた。
なるほど彼らが命を削って生む言葉は美しく、清々しいほど純粋だとも思う。けれどそれらはあくまで偶発的なものであって、わざわざそのために酒や薬などに溺れる破滅思考は理解しがたかった。
(中略)
さて、安価な酒に頼った彼から生み出される言葉は、いったい誰に響くのか。物憂き恍惚、けだるき愛――きっとアブサンなど口にもしない瀟洒なひとたちは、それを好むのだろう。
けれどそんなものより、もっと簡単な言葉があるはずだ。みんな等しく持っている、美しくシンプルな言葉が。
そう――たったふたこと、愛していると言うだけでいい。
少なくともそうすれば、彼の恋人は救われるだろう。
くすんだ光を放つ薬指を見やりながら、私は彼を追い越した。

(Duma Ar Mor『巴里の詩人たち』より)


舞台は夜の帳が下りたパリ。
ムーランルージュの名曲たちを歌い終わった宙組子が、舞台のうえからバッと会場後方に手を差し伸べる。
え??なに??なにがはじまるんです??
長い手に促されるまま後ろをぼうっと振り返ったら、そこにスポットライトが\\\カッッッ///って当たって……いや……もう……心臓が口からこぼれおちたよね……
ギラギラのキキちゃんが!!!!メッチャ近くの扉から登場した!!!!!
ライトを反射してキラッキラに輝くお衣装に負けない美しさが会場を練り歩くのはほんとうに……心臓に悪い……
あの至近距離でキキちゃんのきらめきの欠片を浴びられるなんてほんと安すぎない??やっぱりタダなんじゃない??もっと払わせてほしい。


しかもお歌が「Up Where We Belong」というガチな選曲。
愛と青春の旅だち」の名曲がムーランルージュで使われていたのもさることながら、またこの「愛と青春の旅だち」でキキちゃんは新公主演&演出は生田先生だった……というから本当に奇跡。
私ですらめちゃくちゃ感動したので、あの当時からキキちゃんを応援してた方々にはきっとたまらなく幸せな一瞬だったと思う。生田先生もキキちゃんもニクいぜ……
そうしてそれを歌いながらまた客席を練り歩いて舞台まで戻るんだけど、mon dieuとはまたちがう、なんかすごい……若さのきらめきを感じた。
「遠い空に見えるものがある」「泣いている暇はない」とかの、歌詞の力もあるのかなぁ。のびのびとした、弾けるような歌声がすごくよかったです。

※ここでトークコーナーを挟んだわけですが、案の定ろくに覚えてないのでゆるしてください。情状酌量……いや、なんとか執行猶予つきで手を打ってください。


さて、そうして「ばら色の桜と白いりんごの花」を思い思いに歌う宙男たち。
ここで「石けりをしてた、私がまだ15の春の日」みたいな歌詞があるんだけど、それをキキちゃんともんちが肩寄せて見つめあいながら歌うところが最高にイイ~~~!!!!同期最高じゃ~~~!!!
それからサビを歌いながら、やにわに宙男たちがぞろぞろと会場に降りてくる。
おや?宙男のようすが……??(ディッディッディッ……)
ハイタッチしながらじわじわ迫り来るナニーロくん、握手しまくりながら会場をかきわけるわんたくん、踊るみたいにたくさんのひとと握手していくゆいちぃ、そしてかみつくように目線を合わせて歌うもんち……
いやなにしてくれてんねん!!!!?
一瞬にして宙男による釣り堀と化す会場。
わたわたする客を弄ぶかのように、宙男たちはじいっ……とひとりひとりを見つめながら各サビを歌いあげる。
鬼かよ!!!いやありがとうございます!!!おひねりを!!!こしらえさせてください!!!!
ひとしきり会場じゅうを焦土に仕上げてから舞台に戻っていく宙男たちの背中は、ろくでもないパリジャンの危険なかおりをまとっていました……(生き残りのDさん/兵庫県、20代)


安心するのはまだ早い。
ここからは宙娘の一転攻勢である。
わたし娘役ファンだから宙男の客席降りとかヨユ~~~☆なんてタカをくくっていたら、その隙をせーこさんやもあちゃんに突かれるぞ!!脇をしめろ!!巴里祭に安寧の地はない!!!(?)
そうそう、私はこの「ジャヴァ」からの流れがとてもはちゃめちゃにすきです。生田くんありがとう。とても刺さる。
宵闇のモンマルトルに迷い込んでしまったららちゃんが、怪しげな宙男や婀娜っぽい宙娘に翻弄されるんだけど、その演出がとてもよい。
逃げ惑って舞台を右往左往するのにゆいちぃやナニーロくんに手をとられると熱に浮かされたみたいに踊ったり、あわてて身体を翻して後ずさりしたらそこでせーこさんが待ち構えてたり……
細かな演出が巧みで舞台を広く見せてるんだなぁ~~~ぜんぜん小さく見えなかったもんね。
生田くんはやくショーつくろ……私に金と権力がないばっかりに待たせてごめんね……


そして「ジャヴァ」のあとにはじまるのが「カナリア」。
これがね~……あのね……ッあ~……ほんとね……(♪言葉にできない)
俗っぽくて簡単な言葉を使うなら単純に「キキららの百合」なんだけど、とてもそれだけでは言い表せない美しさと耽美さがあったなぁ……このカナリアを見られたことを私はきっと痴呆になってもうわ言のように呟くだろうな……
舞台に取り残されたららちゃんの視線の先に、黒衣のレディ・キキちゃんが登場する。いや、レディ・キキちゃん様だな。キキちゃん様。
黒羽根がふんだんに使われたマーメイドライン風の衣装に身をつつみ、前下がりボブを左耳にかけたキキちゃんが、ゆっくりゆっくりららちゃんのもとへと近づいていく。

ららちゃんは彼女――この生物学的な表記が正しいのかどうか、いまだにわからない。なんせもうなんらかの擬人化のごとき美しさだったので――に目を奪われ、翻弄されるのだ。
この「カナリア」、なにがやばいって歌詞と振り付けの妙である。
「いちばん夢を見てた人のことを教えて、いちばん恋をしてた人のことを教えて、いちばん大好きな人の名前打ち明けて」!!!!!???!?
そう歌いながらららちゃんをうしろから囲い、目をそっと隠すレディ・キキちゃん様。いやたまらんでしょ。最高でしょ。
耽美なんだけど下品すぎず、あっさりせずとも濃くなりすぎない……という絶妙なバランスが、キキちゃんの歌と生田くんの演出で成り立っていたように思う。
だってカナリアのあんな百合演出、濃くしようと思ったらどこまででもいやらしくできるもん。
でもそれをせずに、なんかこう……「ハレ」の少女を翻弄する「ケ」である宵闇の擬人化っぽく完成されているのはキキちゃんならではかなって。むしろクセがなく、淡白なほどに美しいひとにしか出来ないことだろうなぁとしみじみ思います。


そうしてららちゃんを解放したあと、キキちゃんがエディット・ピアフの「padam, padam」を絶唱するわけだけど……
「わたしを指さす」であのすらりとした指で己の身体を指さして下っていく振り付けが最高でしたね。
切迫してるけれどそれを楽しんでいるような、追い詰められているけれどむしろ追い詰め返しているような、かすかな焦燥と隠した余裕がないまぜになった歌い方がめちゃくちゃツボだった。
欲を言えばBメロ(?)の「十把一絡げのキス」「おまえの恋人たちを思い出せ」みたいなところも歌ってほしかったけど仕方ない。まだ黒い鷲も残ってるからね。仕方ない。

レディ・キキちゃん様と入れ違いに、がらりと雰囲気を変えた宙組子たちが「ラ・マルセイエーズ」を歌いながら現れて、そして「華麗なる千拍子」へとうつっていく。
そこでキキちゃんが!!!肩羽根モフモフで!!!現れるわけ!!!!
THEスター!!!いらっしゃい!!!!おめでとう!!!!ありがとう!!!!(???)
いやもう、あまりの神々しさに目がちかちかした。きらめきの微粒子が目に染みて涙が出た。
またこの「華麗なる~」がどんどんアップテンポになっていく楽しい曲で、それを軽やかに歌い上げるキキちゃんが最高に輝いてたんだなぁ……
きらきらな笑顔を絶やさず、かなりの早口でも舌をもつれさせることなく音程もブレずに踊りながら歌うのほんとすごいと思う。
歌や踊りのどちらか一方に必死になるでもなく、すべてに神経を払いながら、それでも楽しそうに輝いて魅せるのはまじで並大抵の努力ではできないでしょうよ……
全方位欠けることなくそつなくこなすのって、実は図抜けた特技があることよりもすごく大変なことだと思う。全科目平均点以上をすらりとおさめることが、どれほど優秀かってことですよ。
国公立のセンターみたいなもんですよ。キキちゃんは偏差値が高いんだ!!!!(※今期最高に訳が分からない結論)



そしていよいよ「黒い鷲」。
これはね……あの、まず私が「黒い鷲」にどれほどの思い入れがあるかを語らねばならないわけでね……ちょっと長くなるんですけど我慢してくださいね……
「黒い鷲」はご存知のとおり「レヴュー誕生」のフィナーレの曲で、なおかつ私の元ご贔屓もめちゃくちゃ大事にしていた。だから、他組でトップに就任したにも関わらずサヨナラショーでも歌った。しかもちょうどそのころ私自身の生活もいろいろあって、そのときにずっと聞いてた曲でもある。まぁ、最後のは個人的な話だけど。
いやもうだからほんと、ファンにとっては生半可な気持ちじゃ聞けない曲だと個人的には思ってるんですよ……ってもうめっちゃわたし気持ち悪いな???こじらせすぎてるな???でも神格化するのも許してほしい。最初の贔屓ってそういうもんだから……

で、「黒い鷲」は私にとってそれくらい大事な曲だった。
それを、キキちゃんが――今のご贔屓が歌う。こんなもの宝塚ではよくあるただの偶然なんだけれど、もうこの奇跡に感動せずにはおれなかった。
しかもキキちゃんが大切そうに歌い上げてくれるもんだからたまらなかった。
この曲にどんな背景があるかとか、どんな思い入れを持つ人間がいるかとか、そんなことはどうでもいい。
ただキキちゃんがこの曲を気に入って、自分なりに解釈して、そして自分の歌のように歌ってくれたことが嬉しくてならなかった。いや本当にありがとうございます。
すごく澄んだ表情で歌いきり、それからくるりと会場に背を向けて、胸を張って舞台を降りていく。その後ろ姿すらなんかもういろんなものと重なってえも言われぬ……エモ……エモみが……
……ッはァ~~~いやあらためて自分気持ち悪!!!くっそ気持ち悪い!!!!
思い入れが強すぎて天気以上に不快指数が高い!!!!でも言わずにおれんかった!!!!元ご贔屓もキキちゃんもすきだ!!!!!以上!!!!


――さて、以上が私の巴里祭のすべてである。
正直観たひとにしかわからないような、いやむしろ観たひとだって困惑をきわめるような感情のダダ発露で申し訳がない。
けれど、これだけは言いたい。言っておきたい。
いずれの先人たちもすでに言い古していることだけれど、そう……
あなたの贔屓が巴里祭に、いや、ディナーショーに出ることがあったなら。
もしそんな機会に恵まれたなら必ず行け!!!!!!!!這ってでも行け!!!!金ならなんとかなる!!!!!
お金はしゃかりきに働けば取り戻せるけど、贔屓の至近距離のきらめきはあの一瞬しかないのだ!!!!!
だから行け!!!!!
Catch ticket if you can!!!!GO!!!!Girls Be Ambitious!!!!!YES!!!!

もし行くのを迷っているひとが近くにいたら、私はリングサイドの丹下段平のように、ベンチの星一徹のように声高に叫ぶだろう。いまだ、と。いずれも酒浸りのクソ親父ではあるけれど、まあ勢いは似たようなもんだ。
ただし、ディナーショーに行ったあとのこころの不安定さとか日常生活に支障を来たす妄想とかまでは責任を負いかねないので、あらかじめご了承ください。
現にわたしはいまでもこころを巴里に置いてきたままです。もし巴里にころがっているなんかこう……俗っぽくて汚い心臓があったらそれは私のものなので、そっとしといてください。
きっといつの間にか消えてしまって、そうして今度はフィオレンツィアにころがることでしょう。レッツ・ルネサンス


※記事途中にあります引用めいたあらすじは完全に捏造および空想のものなので、決して探そうとはしないでください。探してもないです。ある意味でノンフィクションです。