18列46番で会いましょう

私に好きなだけキキちゃんの話をさせてくれ

拝啓、「父の息子」へ

宝塚の二番手に求められるもの、それは「トップスターの好敵手」である──いや、いきなり主語デカ構文ですけど、そういうとこあるでしょ? あるある。
トップスターの好敵手(もしくは親友)として君臨し、トップ娘役を奪い、ときには譲る。そんな役こそTHE二番手だと思います。
けれど今回の「アナスタシア」は、そんな気分で見ると「?」てなります。私はなりました。
そして自分自身のそのフィルターを恥じました。
なぜなら今回のキキちゃんは、ディミトリではなくアナスタシアの好敵手だからです。



「アナスタシア」のあらすじは多分皆さんご存知だと思いますが、基本的にはディミトリ(真風さん)とアーニャ=アナスタシア(まどかちゃん)の人生が本筋です。
そこに憎めないマブダチのヴラド(ずんちゃん)やヴラドの元恋人である「いい女」のリリー(そらくん)がスパイスとなって、物語が展開していく。
アカデミー賞作曲賞を受賞しただけのことはあるダイナミックで繊細な楽曲と、真風さんの柔らかい歌声やまどかちゃんの力強い歌声がマッチして、そりゃもう最高でした。セットも豪華だし稲葉くんの演出もめちゃくちゃいい。
「ミュージカル観たな~!」って全身で浴びることのできる作品でした。いま健康診断されたら視力も聴力もバカみたいに上がってそう。これで8,800円は価格破壊だよ。


あとみんなお馴染みロマノフ家がベースになってるのも宙組オタクには嬉しいですね。
ニコライ二世だったりアレクサンドラだったりマリア、(単語のみですが)ユスポフと宙組オタクには常識すぎる面々です。マトリョーシカはロシアの名産です。


さて、そして芹香斗亜演じるグレブ・ヴァガノフくんですよ。
なんで共産主義の軍服ってあんなにかっこいいんですかね??
宝塚が誇る軍服シリーズ(軍服シリーズ?)のなかでもロシアのはピカイチにかっこいいと思います。あのくすんだ色味と厳冬に備えたがっしり感がいいのかな……
神々の土地なんか目の保養でしたもんね(ママ~!あの人また神々の土地の話してる~!)


私はグレブの前知識なく臨んだんですが、「ディミトリとアーニャを執拗に追いかける」というあらすじから「ほ~ん。ショーヴランみたいなもんかな」と思ってました。
けど実際にはグレブ→アーニャの要素はあんまりなく、ディミトリともなかなか絡まない。そこへの恋愛的なクソデカ感情があんまり感じられない。
まぁ実際、宝塚の二番手なんて勘違いストーカーが多かったりするしな……(偏見)ってのんびり構えてたわけですよ。
そして二幕、アナスタシアとして過去を取り戻した彼女とグレブが対峙する場面。そこに至って、私はようやく自分のフィルターを恥じました。
もう本当に、このグレブという造形を作り上げたキキちゃんに申し訳ない……マジで……恋愛でしか二番手を見れずにすまない……



二幕、大劇場の天井を突き破らんばかりに歌い上げられた「The Neva Flows」を聴きながら、私はようやく理解したわけです。
グレブはディミトリの対立軸ではない。
ディミトリがアナスタシアの未来としての対立軸であるように、グレブはアナスタシアの過去としての対立軸なのです。


「私はニコライ二世の娘」だと自覚し、アナスタシアとして「未来」を生きることを選んだアーニャに、「父の息子」であるグレブが銃口を向ける。
けれどアナスタシアは怯まない。自分で自分の行いを選択した者は、その行いを悔やまないし恐れない。
まるであの日、副総監であるグレブに呼び出されて怯えていた同志アーニャとはまったくの別人のように。


グレブの父親は、ロマノフ家の警護隊でありながらも彼らに銃を向けた。そしてその自責に駆られ、命を絶ってしまった。
けれどその行いは正当化され、むしろ誇らしいものとされている。だからこそグレブは、「父の息子」であるために、その「過去」を補強するために、ロマノフ家の生き残りとなってしまったアナスタシアを殺さねばならない。


この「アナスタシア」という物語には、「過去」という物語のない人間が三人います。
ひとりはもちろんアーニャ。
あの惨劇の夜を生き延び、自分が何者であるかという「過去」を探している。そのなかでディミトリと出会い、「過去」を受け入れて「未来」へと目を向ける。
もうひとりはディミトリ。
彼にもいまや家族がなく、その「過去」は知る由もない。けれどサンクトペテルブルクの町を愛し、強くしぶとく生きることで過去を肯定している。
それでも唯一「未来」への夢がうまく見られないなかで、アナスタシアと出会ってようやく未来を見据え始める。
そして、グレブです。
グレブには自分自身の「過去」がない。そして「未来」もない。
「父の息子」であるという自負と呪いで立ち尽くすだけで、その行いには自分自身というものがない。
グレブがとる選択肢はすべて「過去」にしがみついてるがための、過去からの贈り物なわけです。


私は、グレブは父親のことを受け入れていないと思うんですよね。
父親がロマノフ家を殺した。だからこそ自分はその「父の息子」としてここにいる。その行いは正当化されなければならない。父の誇りと、自我のために。
けれど一方で、父親が苦しみ、煩悶したこともしっかり理解していると思います。国としての正しい行いと、人間としての正しい行いのジレンマに苛まれたことも。
あとグレブくん、たぶん党本部であんまり信頼されていないのかもしれない……つらい……
なにしろ父親は自殺しちゃったからね……ロマノフ家を銃殺した命令遂行能力は素晴らしいけれど、その罪の意識まで党は責任を負わないでしょう。新しいロシアに「感情はいらない」わけですから……
むしろ「軟弱」とか「所詮は警護隊か」という蔑みさえあったかもしれない。つらい。
そんななかで、父親の行いがために出世をしているであろうグレブくんの存在がどうかは推して知るべしかな、と。
「もしアナスタシアだったら?」
「引き金を引く。簡単だ。君の父がしたように」
こんな念押しの会話があること自体、おそらく党本部は「グレブには殺せない」という軽蔑があるように思いますよ。なぜなら「父の息子」だから……
なんだかなぁ……「父の息子」という言葉は、きっとグレブにとって呪いなんでしょうね。誇らしいことであると共に、一生拭うことのできない「過去」。
……まぁ、全部妄想なんですけど。妄想じゃなかったこと、ないですけど!ガハハ!


結局、グレブの父親が自殺してしまったのも「自分自身」がないからだと思います。
グレブに銃口を向けられてもアナスタシアが怯まないのは、自分自身を取り戻して、その行いに責任が持てるから。殺すなら殺せ、と言える強さもある。
グレブの父親にはそれがなかった。だからこそ悔やんで苛まれて、恥じてしまったんだなぁ……


そのジレンマのなかでグレブが選んだのは、「過去」を受け入れて「未来」を進むこと。
つまり自我を取り戻すわけです。だからこそ、党本部に対して臆さず「アナスタシア伝説の終結」を報告した。
これは自分が決めて自分が選んだ選択肢だから、彼は怯えていない。
あのときのキキちゃんのちょっとニヒルな、それでいて堂々とした(ちょっと小癪な)演技がめ~ちゃくちゃツボです。これ絶対に反抗期来たよ。「父の息子」って言われても今後「うるせ~!知らね~!」しそう。
そしてだからこそ、グレブの「Family」も取り戻せたんだろうな、と思います。
あとすごく個人的なアレなんですけど、同志アーニャと別れてハケたあとに銃声が聞こえなくてよかったな……と思いました。よくあるじゃん。銃声だけで生死がわかるやつ……ほんとよかった……


まぁ、その……とにかくなにが言いたいかというと全人類「アナスタシア」を見ろ!ということです。
凄楽曲(すごがっきょく)と強歌声(つようたごえ)と激美麗(めちゃびれい)な舞台を拝んでほしい。こればっかりは生で「体験」してほしいですね~!


さて、久しぶりに大劇場で宙組を観劇したせいか、やっぱりオタクはオタクみたいな考察しかできませんでした。
オタクだから仕方ないね。
今後ともオタクをよろしくお願いします。


──そういえば、一幕冒頭でアナスタシアに向かっていった子どもは誰だったんだろうなぁ。
まるで抱えて逃がすような、そんな素振りでしたよね。
もしあれがグレブだったなら……ねぇ。そんなこと、ないと思いますけど。