18列46番で会いましょう

私に好きなだけキキちゃんの話をさせてくれ

七夕の季節にきみを想うということ

今日は七夕である。
あいにくの雨……というより、本当に過去最大級にやばめの雨が降り続けているけれど、それでもカレンダーは等しく訪れる。七夕である。


去年の同じ日、キキちゃんの組替えが発表された。
私は当時キキちゃんにすっころんでいなかったので、ただ単純に「へ~!?」という気持ちだった。ひとりのヅカオタとして驚いた。
私ごとだけれど、元贔屓も花組からの組替えを経験したクチである。
当時まだ若かりし血気盛んなヅカオタだった私は、「花組でトップになると思ったのに!!うそでしょ!!名コンビだったのに!!ねぇ!!?」と誰彼構わず当たり散らしていたように思う。
まわりの良き大人のみなさんは「トップになれるんだからいいじゃない」と宥めてくれたけど、なんかもう……そんなレベルじゃなかったのだ。
いまにして思えば、あの組替えはいろいろ兆候もあっただろうし、宝塚をよく知る方々にしてみれば「はいはい」って感じだったんだろう。
でも私は花組の贔屓に落ちて、そして花組の贔屓を応援していた。
たしかに宝塚はひとつだし、退団するわけではないけれど、もう花組の贔屓は見られない。いろんなエピソードや関係性を築いた組子たちの輪に、もう贔屓がいない。その事実に人目を憚らずもんどり打ち、床を転げ回るほど錯乱していたのだ。
こんなメンタルのやつがあの日すでにキキちゃんに落ちていたなら、ブログをはじめていたなら……いやもう、想像するだけでこわい。たぶん炎上レベルで書き散らかしていたように思う。
でも現実には、私はあの日はキキちゃんのファンではなかった。だからキキちゃんファンの先輩方のように、あの日のキキちゃんや組替えについてはなにも言葉が見つからない。
ただ、いまこうしてキキちゃんに出会えて全力で応援する日々が楽しいのも、たぶん七夕の奇跡のひとつなんだろうなぁと思う。
宙組のキキちゃんに出会えたおかげで、わたしは働く意義を久々に見出したし、綺麗になりたいとかかわいい服を着たいとか、いろいろイキイキと生きられるようになったし。毎日が煌めいてみえるようになったのも、キキちゃんのおかげです。
──今日は七夕である。
今日もたのしく、私はキキちゃんを応援している。


ええと……まぁこれだけじゃなんなので、今日はキキちゃんのすきなところを指折り数えていきたいと思う。
「キキちゃんの魅力ってどんなもんよ」と上から目線で読むもよし。わかりみを感じてもらうもよし。
雨の日の暇つぶしに、よければどうぞお付き合いください。いやもうほんと、恋は盲目とはよく言ったもんだぜ。


キキちゃんのすきなところ~~~まずは目!!
キキちゃんのおめめは切れ長だったりぐりっとした猫目ではないけれど、どこか涼しげでちょっぴりセクシーな目だと思う。
目尻と目頭がくっきりキュッと入ってるから、左右どちらに目線をやってもさまになる。あと黒目と白目のバランスがちょうどいいように思うので、白目が多くなる睨みつけるような視線も、黒目を潤ませて焦がれるような、すがりつく弱った双眸もどちらもグッとくるんだなぁ。
眉も最高。はちゃめちゃに深い眉間の皺が刻まれたかと思ったら、眉頭やわらかめのつるんとした好青年にもなれる。眉の動きが自由自在すぎて惚れる。
そういう眉を含めて目の動きってとっても演技に影響すると思っているので、キキちゃんのあのゆるやかに変わる目の表情がめちゃくちゃにすき。
万華鏡みたいにくるくる変わるというより、グラデーションのように感情の揺れ動きにあわせてじわじわ変わっていくみたいな。そういうさりげない視線の演技がとてもすきです。
あとは瞬きの仕方かなぁ。
たとえば瞼を閉じるのも開けるのもゆっくりにすることで、思慮深さとか言葉にはならないえも言われぬ感情を伝えてくれるのとか。コメディだったらめちゃくちゃ瞬きしたりむしろ瞬きしなかったりで、その場の雰囲気をもたせつつ盛り上げたりとか。そういうのが顔や言葉の演技を邪魔せずにさりげなくて、役作りのスパイスになっているように思うので……
なので、キキちゃんの目が好き。
さらにいうと目の演技がとてもツボです。マイベストホットアイズ。

ふたつめは声!!!
素のときのマイルドでちょっと高めな声もめっちゃすきだけど、一番はやっぱり歌声かなぁ。
いつだってのびやかで深みがあるけど、なにより低音には艶があって高音にはハリがあるのだ(化粧品かな??)
コメディや明るいお役のときのパーン!と弾けるようなからりとした声も、耐え忍んだり権謀術数を張り巡らせるようなお役での吐息多めな低音も。それから悩んで焦がれて胸をかきむしるようなお役のときの、艶とハリとすこし掠れた声のバランスも。
もうぜ~~~んぶすき。当たり前に嫌いなところがない。

みっつめは手かな。
キキちゃんの手というか、手首というか指というか……なにせセクシーすぎません???
お芝居でのちょっとした手のしぐさは演技に余韻をもたせるし、ショーでのタメと流れるような指先は最of高feat.最高って感じ。
なにを言ってるかわからないと思うけれど、「とめはねはらい」がしっかりしてるのだ。
手首は「とめ」てても指先がゆるやかに「はら」われてたり、逆に手首はやわらかく「はら」われてるのに指先がピシッと「はね」てたり……こればっかりは私の語彙力がないせいで伝わらないのがもどかしいけれど、もう考えずに感じてほしい。
観て。観たらわかるから。観たらわかるから!!(大声)

よっつめはお芝居。
私はキキちゃんのお芝居、すきです。
足らないこともなく、余らせることもなく……行間をほどよく読ませ、じわじわと余韻に浸らせてくれる感じ、だいすき。
やっぱり役作りって独特で、演る側には演る側の、観る側には観る側の解釈があると思う。ここがズレるとたちまち解釈違いになってしまって、お芝居全部に入り込めないこともあるだろう。
キキちゃんはそこのバランスが絶妙だと思う。ゆるぎない核の部分はありつつも、余白が残っている。
ある意味含みをもたせるというか、観る側がその役に思いを馳せる余地があるというか……だからこそ個人的には、キキちゃんのお芝居には解釈違いがあんまりない。
その核の部分も、きちんと積み上げて緻密に生み出された感情だったり、その感情が引き起こす行動だったりするので、すんなり受け入れられる。
あと演る側の解釈に隙がないと、熱意も相まって演技の押しつけになっちゃったりすることもある……と思う。勝手な想像だけれど。
そこの演る側と観る側の温度差ってすごく大事だと思うし、とくに宝塚みたいに長い間おなじ役柄を演じるうえでは、ある程度の余白があるほうが私はすきだったりする。
なので、私はキキちゃんのお芝居がだいすきです。
いっぱいいろんなお役をやってほしいなぁ。
二番手の美味しいところって、黒でも白でもどんな色づけの役でもできるところだと思っているので、お芝居してるキキちゃんがたくさん観たいな!


あとはお洋服のセンスだったりお茶会や番組でのふるまいや言葉選びだったり、宝塚と男役にかける思いだったり……いやもうほんと、すきなところを挙げるとキリがないので残りは別の機会にしておきます。
さて、来週を越すといよいよ巴里祭
生田くんと巴里祭が、生田くんとキキちゃんがどんな化学反応を起こすのか!!!!はちゃめちゃに楽しみ!!!!!!!

1860年夏、シチリアを生きたとある青年について

さて、宙組の千秋楽を盛大に祝う前に、一度きれいに気持ちを整理しておきたいことがある。
これにカタをつけなければ、パリとかイタリアとかには行けない。ハッスルなメイツになれそうにもない。
そう、──セバスチャンである。
1860年の夏、シチリアでたしかに息づいていた彼のことを、今一度きちんと整理しておくべきだと思った。
千秋楽のセバスチャンを観たら、もういてもたってもいられなくなったのだ。そんなシチリアの女Aはたくさんいるんじゃなかろうか。
劇場とライブビューイング含めてだいたい946万人くらいがあれを目の当たりにしただろうから、そのうち945万9879人程度はきっと今もセバスチャンに心奪われてシチリアから帰ってきていないと思う。
なお現在のシチリアの人口は約500万人なので、シチリアの女が住民より倍の計算になる。人口密度がすごい。

まあそんな嘘はおいといて、とにかくセバスチャンの話をしよう。
今回はキキちゃんの話ではない。セバスチャンの話というか、もう妄想である。純度246840%の妄想。
たった十分弱のシーンに傾ける記事にしてはいつも以上に頭のおかしなことを書き連ねているので、ここから先は時間を無駄にする覚悟のあるひとだけ読んでほしい。ネタバレしておくと、最終的にこういう話になります。

※なお、あくまでも今回のノスタルジアに関する湿度の高い妄想であって、これまでのノスタルジアすべてに通じるわけではない点はご承知ください。


2018年 宝塚、春……すべてはあの公演からはじまったのです──

セバスチャンは貴族然とした青年である。
きっとシチリアブルボン朝の傍系の傍系のそのまた傍系の友人くらいの、格がありすぎることもなさすぎることもない良家の出のような気がする。とはいえきちんと領地があって、金持ちらしい瀟洒な趣味を持っていて、社交界でも顔が利く。
政治の話もそれなりにちゃんとするだろう。当時のシチリアガリバルディが率いるイタリア統一運動の真っただ中らしいので、セバスチャンもその熱に浮かされていそうな気がする。ただし市民のように軍人かぶれになることはなく、あくまでも一歩引いた視点から情勢を俯瞰してそう。
俯瞰といえば、セバスチャンはいつでも他人を品定めしているような印象がある。
軍人、貴族、金持ち、シチリアの人間、ナポリの人間。そんなふうに他人をカテゴライズしていて、本当の意味で人と付き合えない。もちろんそのカテゴリに「友人」なんてものもなさそう。
豪遊もしないけれど清貧でもない。潔癖ではないけれど放蕩しているわけでもない。まわりを振り回すわがまま坊っちゃまというよりは、ひとりで屋敷に佇むのが似合っている。
心底どうでもいいと思っている曾祖父のデカい肖像画の前で、シャツをくつろげてだらしなくワインとか飲んでてほしい。明かりもつけないで、がらんどうの広間にいてほしい。

さて、そんなセバスチャンがついにひとりの女性──マチルドに出会う。

出会いはいつなんだろう。マチルドの社交界デビューの頃から、もうセバスチャンはそばにいそうな気がする。
たとえばパーティがはじめてで緊張してるマチルドを思って、おば様とか友人が顔の広いセバスチャンに引き合わせたとか。
セバスチャンもそんなことは日常茶飯事だっただろうし、「またか」くらいに思ったかもしれない。
でも隣につれて挨拶してまわってる間に、その受け答えの聡明さとか、どんどん洗練されていく雰囲気に知らずのうちに惹かれていったんだろうなぁ。
いい仕立て屋を紹介してドレスを贈ってあげたり、送り迎えの馬車を必ず用意してあげたり。社交界の華だとマチルドが褒めそやされるたび、セバスチャンは満たされた気持ちで胸がいっぱいになる。

──それでどんどん囲っていってしまう。
セバスチャンにとっての愛情表現はぜんぶ「囲う」という行動に帰結する。空々しい愛の言葉を伝える必要もない。だって、セバスチャンの愛を拒む理由がマチルドにあるはずがないと信じて疑わないから。
でも囲うっていっても、THE監禁みたいにこう……セバスチャンが愛を渇望してすがるようなそんな方法じゃない気もする。
どちらかというとじっとりとした、傲慢で不気味な囲い方のほうが似合っている。
たとえばマチルドが行き先を告げずにオペラを観に出かけたのに、終演後には馬車がとまっていてセバスチャンがにこやかに微笑んで待っているとか。セバスチャンに贈られたドレスじゃなく、叔父たちと見繕ったドレスを着ようとしていたのに、当日の朝にはセバスチャンが贈ったドレスしかドレッサーに残されていなかったりとか。えっ怖……自分で想像しときながらやばさに慄いた……
そのくせセバスチャンはいつでも爽やかに微笑んでいて、たぶん傍から見たらぜんぜんそんな湿度の高い青年には見えないんだろうな。晩餐会とかでも「お優しそうな彼でマチルドが羨ましいわ」とか言われてるんだわ。
しかもセバスチャン自身もやばいことをしている自覚がないから、マチルドが自分といつも共にあるように囲うことになんの疑問も持ってない。
その涼しげな双眸に狂気の炎が焦げついていることを知ってるのは、マチルドだけなんだろう。背筋が凍るようなその独占欲に、愛を見出すのは難しいと思う。

ただマチルドだって、最初からセバスチャンのことを遠ざけようとしていたわけじゃない……と思いたい……
でもマチルドは庇護や贈り物なんかじゃなくて、たったひとつの愛がほしかったんだと思う。一言「愛してる」とか「そばにいてほしい」とか言えば、多少歪だったとしても、セバスチャンの気持ちだって汲んでくれたかもしれない……いやくれないかもしれないけどさ……ワンチャンあったかもじゃん……

いやまぁそれはさておき、彼らはついにあの運命の夜を迎えることになるわけだ。
軍服だらけの晩餐会だから、たぶんイタリア統一に関連したそういうパーティなんだろう。そこに、唯一軍人でないセバスチャンが招かれた。
セバスチャンもそんなに乗り気じゃなかったんだろうけど、それが将軍──ヴィットリオからの招待で、しかも「噂の恋人をお連れになってぜひ」とか言われたんだろうな。そりゃ行くわ。
行ったら行ったで、粗野で粗忽な軍人たちが雁首揃えて不釣り合いなダンスを踊るのを、セバスチャンは鼻で笑ってそうな気がする。ここにいるどの男たちよりも自分が洗練されているし、どの女よりもマチルドが美しい。絶対的にそう信じていそう。
マチルドはそのセバスチャンの視線が本当に恐ろしくて嫌いだし、でも彼から離れられない自分自身のこともほとほと嫌になってる気がする。ジャンニ・スキッキを歌ってるマチルドにちょっとだけ諦観が見える。

さて、そうしていよいよヴィットリオが現れちゃう。
招待客であるセバスチャンより遅く来てしまったことで、ちょっと駆け足なのかなぁ。きっとヴィットリオのなかでは、セバスチャンってシチリア社交界を代表する青年だという認識なんだろう。これ以前にも何度か会ってて、品の良さやその教養深さを好ましく思ってるはず。
そういうところ、ヴィットリオは人を信じることに長けた好青年みを感じる。
一方でセバスチャンは別にヴィットリオのことをどうとも思ってなさそう。将軍とはいえたまたまうまく時運に乗っただけで、所詮朴訥で面白みのない男だと鼻で笑ってそうなんだなぁ……

だから余裕綽々顔でマチルドを紹介してしまう。ああ~~~もうそれがセバスチャンにとっては不幸のはじまりなわけだけど……でも「噂の恋人をお連れになって」って言われたからね、紹介しちゃうよね……
マチルドも義務的にご紹介に預かる。もうセバスチャンの装飾品としての弁えが身に染みつきすぎちゃってて、とくに相手に対してなにを思うわけでもない……はずだった。
けれど、マチルドとヴィットリオの視線が絡んだ瞬間、世界がふたりだけのものになっていく。
マチルドにとって、ヴィットリオのその清廉潔白で真面目な、澄んだ瞳はきっといままで見たことがないくらい美しい宝石に思えたのかもしれない。だからその宝石に手を伸ばす。
ヴィットリオもヴィットリオで、マチルドの美しさと、そこに秘められた退廃的な危うさにぐっと惹かれてしまったんだろうなぁ。瞬きをした瞬間に消えてしまうかもしれない儚さに、ヴィットリオも思わずつかもうとしてしまう。

……そうして気づいちゃうんだな、セバスチャンが。
気づかなかったら幸せだったのかもしれない。気づかなければそこに存在しないのと同じだから。
でもセバスチャンはうっすら気づく。
もう不幸のはじまりだ~~~!!!「1860年7月、午後6時半、シチリアパレルモ宮殿、どういうわけか黄昏どきの晩餐会」ってイタリア人の無政府主義者が笑うのが聞こえてくる。
だからさりげなくセバスチャンはマチルドを取り返す。「お話途中で申し訳ないが、」みたいななんともない顔をして。
その瞬間、肩に触れたセバスチャンの手のひらの冷たさに、マチルドもはっと我に返る。ヴィットリオもその手を見て、ああそうだった、と一歩引く。
マチルドはセバスチャンのもので、セバスチャンはマチルドを愛しているんだから、と。
それでもやっぱり、手が届きそうで届かないものってどうしても欲しくなっちゃうんだよなぁ。だからマチルドはヴィットリオに惹かれ続けるし、ヴィットリオはマチルドに囚われ続ける。

私がふと思ったのは、ヴィットリオがセバスチャンのやばみに気づいていたかどうかってところ。
たとえば騎士のように、不遇のマチルドをセバスチャンから救う役割をヴィットリオが意図して担うのかどうか。私としてはそれは違うんじゃないかな、と思う。
ヴィットリオとマチルドのあいだに生まれたのはただひとつの純粋な愛であって、ヴィットリオはたぶんセバスチャンがどうとかいうことにすら気づいてないような気がする。
良くも悪くも、あのふたりの世界にセバスチャンはいないんだよ。たぶんロレンツォ・デ・メディチ様は強烈にふたりの間に割り込んでくると思うんだけど、ノスタルジアに関してはもうふたり以外はモノクロなわけだから……
そこがまた切ない。いっそヴィットリオが正義感丸出しでセバスチャンのこと罵るとかすればまだすっきりするのに、傷ついたのはセバスチャンだけなんだよな……「愛し合い」はヴィットリオとマチルドで、勝手にひとりで「傷ついた」のはセバスチャン……おお……むり……

気を取り直して(?)晩餐会の続きの話をしよう。
平静を装って談笑するけれど、マチルドは気もそぞろなわけ。そりゃそうだ。視界の端にヴィットリオがちらつくし、誰を見てももうモノクロにしか映らないんだし。
そしたらヴィットリオの求愛のダンス(※語弊)がはじまって、マチルドはセバスチャンのことを見もしなくなる。存在を感じさえしない。
だから、セバスチャンがマチルドの腕をとろうとしたとき、これまで一切あらわにしなかった嫌悪感が前面に出る。もうどうでもいい存在になり果てちゃったから、取り繕う必要もなにもなくなるんだもん。
ヴィットリオっていう美しい天然の宝石に出会ってしまったら、セバスチャンみたいに虚飾にまみれた宝石まがいはもう輝かない。いやいや待って……書いててめっちゃ辛くなった……

その手を振り払われたセバスチャンは、苛立ちなんかよりも動揺がすごいと思う。
だって、マチルドがセバスチャンからの愛を拒むはずがなかったから。はじめての明確な嫌悪感に、自分自身を否定されたように感じてしまうのもしょうがない。でもそんなことより、マチルドが自分の手から離れていくことに対する喪失感で、足元がガラガラと崩れていくような感覚に陥っているように思う。
そうしてセバスチャンははじめて気づくわけだ。マチルドを、本当に心から愛していたことに。
社交界の華だと彼女が褒められて優越感を得ていたのも、その一挙手一投足をじっとりとからめとっていたのも。ぜんぶ自己愛なんかじゃなくて、心の底からマチルドを愛しいと思っていたからなんだってようやく気づく。
お、遅い~~~!!!!!もっと早く気づいてきちんと愛を伝えていたらワンチャンあったかもしれないのに!!!!いやなかったかもしれないけど!!!!でもたぶんそこまで心証悪くなかった!!!

セバスチャンのなにがエモいって、ここからの表情である。
さっきまで傲岸不遜に神から目線をかましていたくせに、マチルドを失った瞬間に、母親を失くした迷子のような顔をするのだ。ずるい。
あれほど涼しげに飄々としていた目元が、焦燥と懇願でぐしゃりと歪んでいく。行かないでくれ、愛してるんだ、って言わんばかりに……
でも無情なことに、もうマチルドはセバスチャンのもとには絶対戻らないんだなぁ。
ある意味でヴィットリオを得たマチルドは無敵で、表情も豊かだし生き生きしてくる。ヴィットリオとふたりで踊ってるところなんて、セバスチャンとは絶対見せなかった顔だもんなぁ……たったひとつの愛を得たマチルドはつよい。

すがっても、手を伸ばしてももうマチルドは戻らない。今更気づいた愛を伝えることすらままならない。
セバスチャンは焦る。そしてようやく苛立つ。
自分の愛を受け取らないマチルドにも、そのマチルドの世界を勝ち取ったヴィットリオにも、そしてちゃんとした愛を伝えられなかった自分自身にも。
──そうしてもうどうにもならなくなって、セバスチャンは手袋を投げ捨てる。
それは嫉妬による自己愛なんてもんじゃなくて、ただ純粋に、もはや愛を伝える方法が決闘を申し込むことしか残ってないからなわけだけど……悲しいかな、マチルドにはそれが所詮「プライドを傷つけられた男の末路」にしか映らない。
でも千秋楽のセバスチャンは、それすらわかっていそうだったなぁ。
マチルドにそう思われることなんて百も承知で、それが自業自得なのもわかっていて、だから苦しそうに笑ってから手袋を投げ捨てる。
自暴自棄でも憎しみでもないんだけど、あれはセバスチャンなりの愛する覚悟だったんだろうなぁ……

ヴィットリオはあの手袋を拾ったんだろうか。
決闘は相手が手袋を拾うまで成立しないから、それによってはセバスチャンがさらにみじめなことになるんだけど……なんだかんだ言って、ヴィットリオは決闘を受けてくれそうだな。でも決闘がもう明日に迫るころ、イタリア統一運動のなんだかんだで有耶無耶になってしまいそうでもある。
そうしてヴィットリオとマチルドはイタリア本土へ渡り、セバスチャンはひとりシチリアに残るんだろう。うたかたの青春にすべてを燃やして、その後は一切社交界にも出向かなくなりそうな気さえする。
「セバスチャン?ああ、あの好事家のお爺様のお孫さんね……そういえば最近見ないわねぇ。どこに行ったのかしら」とか噂されていてほしい。そうしてそのゆくえは頑として知れないまま、大戦を迎えてほしい。



……いや、よくぞここまで読んでくださった。
時間を無駄にしたお詫びはできないけれど、ノスタルジアのセバスチャンに入れあげた思いは伝わっていると嬉しいです。いや別になにがあるわけでもないけど。
まぁね、ここまで熱をあげたからってノスタルジアがひと公演出来上がるわけでもな……え??秋に???宙組が???ノスタルジアジェネリック公演をやる……???
──その名も「異人たちのルネサンス」????
いや、観なきゃいかんでしょ。観るべきでしょ。観ない選択肢がないでしょ。ポスターがやばやばのやばでしょ。

そうそう、最後にひとつ芹香斗亜にすっころんだオンナらしいことを言っておこう。
とにかくたったあのひと場面でセバスチャンに対してここまで考えさせる芹香斗亜のやばさ!!!!!!それをわかってほしい。
キキちゃんの表情の緻密さが、狂おしい所作が私にここまでさせたんです。キキちゃんがセバスチャンをやってなかったら、私はシチリアや決闘についてWikipediaを駆使することもなかった。
なんだよ、「シチリア 1860年 決闘 禁止」て。そんなサジェスト、グーグルもびっくりだわ。検索語彙が具体的すぎるわ。

今日もまたセバスチャンに思いを馳せながら眠りにつきたいと思います。まだシチリアから帰って来れそうもない……次はパリへ行かねばならないというのに……シトワイヤン……ゆこーう……(入眠)

この先エモさの玉突き事故で93kmの渋滞です

※前半はただのネタなので、レポ的要素は途中からです。適当にスクロールしてください。


キキ茶が10日と聞いたとき、私は11日に大きな〆切を抱えていた。それなりに重要度の高い、たくさんの御社が絡むものだった。
だから私は、ああ行けないな、と悲嘆に暮れたのだ。
せっかく芹香斗亜にすっころんでからはじめてのお茶会なのに、行けないなんてつらい。でも〆切をぶっちぎってこれから先、芹香斗亜のために自由に使えるお金がなくなるのもつらい。
ここは我慢だ、と思った。
これは天啓なのだ。転がり落ちるスピードにすこし歯止めをかけ、それでいてこれからもずっと応援できるようにするための天啓。いわば天の神様の言うとおり。ここは静かにしておこう。
そうして日々を過ごしているうち、あるときふと上司が言った。
「そういえば獰猛さん、あの〆切伸びたんだよ」
どの〆切だろう。
自慢じゃないけれど、私は数多の〆切をぶっちぎりながら生きているので、どれが伸びようが知ったこっちゃない。けれどなぜかそのとき私には胸騒ぎがした。
上司は続けた。「11日の、デカめのやつだよ」と。


……いやいやいやいやはよ言えや~~~い!!!!ヒュウ~~~!!!!!
そのあと私はすぐにチケットを手配し、お茶会に滑り込みの申し込みをかました。その日は定時でスキップしながら帰った。ホッホ~~~ウ!!!!
お茶会に行けなかったのも天啓ならば、〆切が伸びてお茶会に行けるようになったのもまた天啓なのである。っしゃコラ~~~!!!!
たぶんきっと毎日毎日お茶会の申込書を眺めながらため息ついてゴロゴロしてる私を見て、神様が「しゃあねぇな」って施してくれたのだ。そうに違いない。アンニュイに過ごした甲斐があった。イェ~~~イ!!!!!

かくして私は台風の気配がくすぶるなか、ついに某ホテルへとたどり着いた。
この一週間狂ったようにエステに行ったりネイルに行ったり髪を切ったりしたけど、ぜんぶ緊張からくる汗と雨のせいでグチャグチャだった。幸先が悪すぎる。
でもいいんだ。私はちょっとキキちゃんを覗きに来ただけ。質量をもって存在してるかどうかを、遠巻きに眺めに来ただけだから。私が人としてまともな格好をしてるかどうかはこの際どうでもいい。
そうして山ほどのキキちゃんでまみれた物販を総ナメにしてから、私はようやく席についたわけだけれど――

……いや近くない???
とにかく近い。なにが近いって、ドアとお立ち台が、である。
こんなんバーンッてドアが開いて登場したキキちゃんの視界に入るし、お立ち台で質問答えたりなんかしたらほぼゼロ距離じゃん???無理じゃん???私もう汗と雨でグチャグチャですけど???
買ったばかりの千社札をおもむろに握りしめてドキドキをやり過ごしていたら、そこでまたアナウンスが入った。
「今日は握手がありますので、――」
……いや握手あんの????
たくさん人がいるシアターだし、公演終盤だしないと思って油断してた。
がばりと顔を上げ、あわてて自分の手を眺めてみても、そこにはじっとりと手汗をかいたアラサーの手のひらしかない。これを、キキちゃんに、差し出すというのか???
鬼かよ。鬼の所業だよ。いや嬉しいよ。だれも嫌がってないよ。でもわかってくれよ。きびしいジレンマだよ。
気持ちの持っていき方がわからず、無駄にハイテンションに「やば寄りの無理」なんて呟いてみたけど、そのとき私の顔は般若だった。

いや今からもう1回エステ行かせて。髪の毛切らせて。なんなら天気予報を覆してから今日をやり直させて。
もう心音がすごい。脈がはちきれかけている。おもむろに準備をはじめるホテルのスタッフさんたちを尻目に、私はフリスクをガバ飲みしていた。なんかこう、刺激がないと気を失いそうだったのだ。
そうしてついに、がばりとドアが開いた。めちゃくちゃに近い、私の目と鼻の先にあるドアが。


――ビッカビカの強烈なライトを背負いながら、芹香斗亜が仁王立ちしていた。
目が眩んだ。かろうじてわかったのは、白いパンツを履いているということだけだった。
そしてどこかで聞き覚えのある曲が流れ出す。
ぱ……ほぁ、あ、ぱ……ッぱぱ……ぱ、PARADISOや~~!!!!!!
会場じゅう悲鳴をあげていた。私も叫んだ。
黒いシャツに白パンツという最高にシュッとした芹香斗亜が、PARADISOを歌いながら練り歩く。釣る。色気でかみつく。各地で悲鳴をあげながら人が落ちていく。もはや色気の絨毯爆撃だった。
壇上に上がるころには、会場はほぼ焼け野原だったと思う。けれどかろうじて生き残った人間たちすら逃すまいと、芹香斗亜はやりやがったのである。
PARADISOの最後、帽子クイッを。帽子もないのに、一度会場じゅうを見下ろしてから、完璧な手つきで顔を隠してスッと俯いたのだ。もうだめだ。一人残らずぶち生かされた。凶悪犯だ。
こんなん人間のやることじゃねぇ……ひでぇよ……

息も絶え絶えになりながら午後ティーを煽り(ここで乾杯がなかったら本当にやばかった)、私は芹香斗亜のやばみを噛み締める。大変なところに来てしまった。これはやばい。
だが、本当にやばいのはこれからだった。

芹香斗亜をスイッチオフして、入れ替わりに出てきたキキちゃんがもうめちゃのくちゃにエモいのだ。
まったりめのゆるい関西弁、そういえばめっちゃ面白いことあってん~~~って言わんばかりの思い出し笑い。言葉選びも語尾もトーンもやわらかいのに話は愉快だし、なにより歩くたびになんかすごいいい香りがする。
透明度15786990%のまっしろな肌もちっっっさい顔も、ラムちゃんが残る髪型もぜんぶ目の前に存在していた。目がつぶれそうである。でも視力はめっちゃ上がりそう(?)
いやもう気色悪いこと言ってるのはわかってる。自分が一番わかってる。でも声を大にして言いたい。
キキちゃんめっちゃきれい!!!!!!すき!!!!!ありがとう!!!!!!


以下はぎりぎり私の脳みそが覚えてるかぎりのキキちゃんのお話を落としていけたらいいな、と思う。
たぶんもっと詳細な話はTLに流れてるだろうから、個人的にはちゃのめちゃにエモかったやつだけ。キキちゃんの魅力がちゃんと伝わっていればいいんだけど……頭が悪いので語彙力がないところはご容赦ください……


・舞台稽古でイルバーニさんとかとすれ違って「ウワ漫画の人や!」「髪の毛がなんか……こう……めっちゃある!」ってなるキキちゃん。いやあなたも完璧なラムちゃんですよ。

・漫画原作はビジュアルとかめっちゃ大変だけど、「うちには愛月がいるのできびしく管理してくれてる」ってなんか自慢げなキキちゃん。93期かわいいかよ。

・マントさばきは花娘のスカートさばきを参考にしているキキちゃん。
ここで芽吹さんと白姫さんの真似するキキちゃんめちゃくちゃかわいかった……
「ここをね、後ろからね、持つの⤴︎ 」「裾を意識するの⤴」そっか~~~ラムちゃんのマントはスカートか~~~

・エジプト軍せり上がりのとき、上手板付きのキキちゃんに向かって、下手のホルエムヘブ将軍(朝央くん)が一生懸命身振り手振りで作戦を伝えようとしてくれる。
でも「一回もわかったことない!!!」「だから勝たれへんねや~~~」ってエジプト軍めちゃくちゃ呑気では???かわいいな???

・ でもエジプト軍は「あの人数でめっちゃ頑張ってると思う」キキちゃん。私も思う~!!!狗奴兵より数少ないのにめっちゃ頑張ってると思う。「鉄なら勝てた」わかる~!!!鉄ずるい。

・銀橋の殴り合い、「カイルが剣をおさめるじゃないですか!剣持ってんのに!」「ラムセスも短剣あんのに!」「あそこめっちゃぞくぞくする~!」ってぐっときてるキキちゃんにぐっときた。男の友情とかいいよね……

・銀橋から落ちそうになることもあるけど「真風さんを信頼してるし」「真風さんやから大丈夫やと思う」
「だって私がもし半身落ちても、真風さん引っ張りあげてくれそうじゃない??『ふぬ~~~ッ!』って腕だけで」……キキちゃんは真風さんをなんだと思ってるんだ????

・初シトラスは「ロマンチックレビューをなめてた」キキちゃん。たしかにロマンチックとはいえ結構な運動量だと思う。

・PARADISOは岡田先生の50周年記念でもある。「フォトブックで夢叶った~と思ってたのに」ここの夢叶った~の関西弁がめちゃくちゃふわふわしててかわいかった(えびす顔)
「嬉しくて行ったり来たりしたくなる」「えっもう終わるんや~まだやりたい~」って言い方もめちゃくちゃ略

ノスタルジアは「山猫」がある意味原作なので、お稽古場でみんなで見たらしい。「まぁ……参考になったかって言われると……」キキちゃんそういうとこめっちゃ正直者~~~
でも「最近のショーではああいう気持ちを表す場面があんまりないから好き」っていうキキちゃんがエモくて好き。
たしかに最近のショーはオラオラしてて繊細な場面が少ないもんなぁ。でもキキちゃんはオラオラもできて繊細な場面もできてすごいなぁ(贔屓は贔屓したおす主義)

・ハナからまどかちゃんがめちゃくちゃ嫌そうな顔してるから、ソラカズキに「監禁とかしてる」って言われるサイコパスキキちゃん。
いやわかるわ……愛と束縛がごちゃまぜになってるタイプのセバスチャン……むしろ愛しすぎていつの間にかごちゃまぜになってしまったんだなぁ……つら……

・プライベートの質問が八割がたキャン様(キャンディちゃん)の話になるキキちゃんかわいい。キャン様の話してるときの顔がほわっほわにとろけててかわ……ウワ……かわいい……って戦いた。芹香斗亜からキキちゃんの振り幅がやべぇ。

・自我が芽生えたキャン様、「テレビにりゅうちぇるが映るとめっちゃ吠える」。その事実よりも私はキキちゃんがテレビでりゅうちぇる見てることになぜかすごいぐっときたよ。なんでやねん。
「『吠えたらアカン~』って言ったら『フンッ……ウゥ……グルル……フンッ……』って我慢してる」って言ってるときの~~~キキちゃんのキャン様の真似が~~~やばオブかわいかった。あと似てる。小型犬の唸り声めっちゃ似てる。

・それから急遽来日したラムセス様がお越しになられて人様のお悩み相談をバッサリ解決していくコーナー。めっちゃ笑った。
「ニホンアメスゴ~イ」「アメメッチャフッテル」ラムセス様すごい日本語が堪能でいらっしゃる。「ニホントオイヨ~」そうだねエジプトとニホン遠いね。

・抜歯がこわいという相談に「え、わたし抜歯好き~」(会場ざわつく)「断捨離アンだから親知らずとかぜんぶ抜いた~」(会場さらにざわつく)「……いや必要なやつは抜いてないよ!!!???」(会場安堵)の流れが好きすぎた。
断捨離アンで抜歯好きとか言うからやばめな想像してしまった……ヨカッタ……

・来月いやな部署に異動するんですが……とか後輩の指導員になって……とかのなかなかガチめなお悩みに対するキキちゃんの答えが性格出ててすごい好きだ~~~
「そうそう嫌なひとなんていないんですよ!」「こっちから手を広げてたら大丈夫!」組替えにも触れて「いまわたしもすごい楽しく幸せにやってるし!」って笑ってたのが最高すぎた。

・あとラムセス様で俺妻ソング歌われて私はもうまたしぬかと思った。ラムセス様~~~!!今度こそわたくしをミイラにしてくださいませね~~~!!!(ダミ声)
まさかの俺妻ソングも披露でエジプトの女A大量発生してた。そろそろ千秋楽あたり勝てそうな気さえする。それくらいの熱気だった。

・握手なんてのもありましたね。ええ、もちろん記憶にございませんよ。透明度が高すぎて私みたいな穢れた人間の目には眩しすぎたんだ……手元しか見てない……手はやわらかかった気がする……(遺言)


……さて、伝わっただろうか。
いやもう伝われ~~~!!!頼むから伝わってくれ!!!芹香斗亜からキキちゃんまでの振り幅に慄け!!!おいでよキキ茶の沼!!!!

キキちゃんはかっこいいし賢いし、面白くてやさしい。ほんとにいまがたのしいんだなって思えるし、そんなキキちゃんを見てたらこっちまでたのしくなるのだ。
私は贔屓のことは贔屓したおす主義なので信じてもらえないかもしれないけど、キキ茶に行ったらやさしい幸せな気持ちになる。断言できる。
あとお茶会の雰囲気もすごくいい。皆さんがキキちゃんのこと大好きで、キキちゃんも皆さんのことを大事にしてるふうで、すっごくあたたかかった。
いやどのお茶会もそうなんだろうけど!!なんか皆さんが反応するところがぜんぶ同じで、「いま楽しくやってる」とかいうキキちゃんの言葉になんかちょっとホッとした空気が流れるところとか!!そういうのが!!いいなと思ったの!!!

さて、そんな幸せな気持ちを抱きながら、私は今日は徹夜します。
なぜって?いやだって、冒頭の仕事の〆切があるから。え?伸びただろって?ええ、伸びましたよ。12日に。